なんと25周年になるそうだ。四半世紀にわたって毎年休むことなく25年間ずっと同じ時期(9月)にテントを立てて公演を続けた。場所は、(時には変わることもあるが)必ず大阪市内の公園を使い、忽然と銀色テントがその雄姿を現す。それが大阪の秋の風物詩であった。
できることなら、これからもずっと永遠に続けばいい、と思う。というか、そんなことすら思わない。NGRは言われなくとも毎年やる。それでいい。はず、だった。
でも、永遠なんかない。諸事情から、今回限りで、幕をひく。悔しいのは、僕たちよりもきっと浦部さんたちのほうだろう。使用規定がどんどん厳しくなり、それでも続けてきた。限界にきたのだ。なんだか、悲しい話である。公共の場所をお借りして、こういう小劇場の芝居をテントで上演することの困難は想像を絶するものがあるのだろう。でも、それをこれまでクリアして毎年、勤勉に、何食わぬ顔して続けてきた。
だから、今回の幕引きに対して、もうこれ以上何もいわない。彼らが言わないのだから、僕たちが言うべきではない。惜しまれながら終っていく。時代の要請、だとかいう諦め、悔恨とか、そんなのはない。とても立派なことだ、と思う。 だから、お疲れさまでした。ありがとうございました。
さて、テント興業最終章である。でも、まるで気負わないのが浦部さんらしい。いつもと同じNGRである。その時その時の興味の赴くままに、題材を採り、取材し、作品化する。だから同じ傾向の作品は(ほとんど)ない。どんなものにもアプローチする。そんな自由さがいい。
今回は「風俗業界」を取り上げる。だが、興味本意ではないのは、当然のことで、しかも、風俗産業の表層をなぞるわけではない。それどころか、もっと際どいことをするのか、と思ったのに(期待した?)まるでそういうものにはならない。変な期待をした人はがっかりだろう。ネット社会になって、なんでも疑似体験できるようになった先に何があるのか。風俗という生の肉体と肉体との接触というところから始まるコミュニケーションがもしかしたらこの先の人と人との関係において重要なものとなるかもしれない、とか、そんなことすら考えさせるようなお話である。
冒頭のここに迷い込んだ探偵と老婆のやりとりが凄い。条あけみさんの凄い迫力に圧倒される。彼女の登場するこの冒頭の10分ほどを見るだけでもこの作品を見る意味がある、なんていうと、他のキャストに叱られそうだが、震えるオープニングなのだ。
だが、本編となる芝居自身は、詰めが甘い。いつものことだが、そこがNGRの弱さであり、浦部さんの優しさなのだが、過激なことを言わないで常識の範囲何で納めてしまうからつまらない。でも、そこを超えてしまうとNGRではなくなるのかもしれない。野外劇にする必要性のない芝居ではないか、と思わせといて、ラスト、当然の解放感(後ろの幕が開いて難波宮の自然と闇を借景として取り込む)が、作品のテーマを指し示す。
実に上手いラストである。このシーンを見せたいがための2時間20分だったのではないか、と思わせる。今回はそこにスペクタクルではなく、世界の広がりを描く。ちゃんとテーマとリンクする必然性のあるラストだ。目に見えている世界の背後にある本当の世界。それはいったいどこにあるのか。観客を幻惑させる秀逸なラストである。ラストで再び(当然!)条さんが登場する。彼女を含むすべての人たちがこの「世界」に取り込まれていく。それだけに詰めの甘さが惜しまれる。
わかりきったことだが、「さらば銀色テント!」と銘打たれた今回の作品が浪花グランドロマンの最終公演ではない。彼らの旅はまだまだ続く。
できることなら、これからもずっと永遠に続けばいい、と思う。というか、そんなことすら思わない。NGRは言われなくとも毎年やる。それでいい。はず、だった。
でも、永遠なんかない。諸事情から、今回限りで、幕をひく。悔しいのは、僕たちよりもきっと浦部さんたちのほうだろう。使用規定がどんどん厳しくなり、それでも続けてきた。限界にきたのだ。なんだか、悲しい話である。公共の場所をお借りして、こういう小劇場の芝居をテントで上演することの困難は想像を絶するものがあるのだろう。でも、それをこれまでクリアして毎年、勤勉に、何食わぬ顔して続けてきた。
だから、今回の幕引きに対して、もうこれ以上何もいわない。彼らが言わないのだから、僕たちが言うべきではない。惜しまれながら終っていく。時代の要請、だとかいう諦め、悔恨とか、そんなのはない。とても立派なことだ、と思う。 だから、お疲れさまでした。ありがとうございました。
さて、テント興業最終章である。でも、まるで気負わないのが浦部さんらしい。いつもと同じNGRである。その時その時の興味の赴くままに、題材を採り、取材し、作品化する。だから同じ傾向の作品は(ほとんど)ない。どんなものにもアプローチする。そんな自由さがいい。
今回は「風俗業界」を取り上げる。だが、興味本意ではないのは、当然のことで、しかも、風俗産業の表層をなぞるわけではない。それどころか、もっと際どいことをするのか、と思ったのに(期待した?)まるでそういうものにはならない。変な期待をした人はがっかりだろう。ネット社会になって、なんでも疑似体験できるようになった先に何があるのか。風俗という生の肉体と肉体との接触というところから始まるコミュニケーションがもしかしたらこの先の人と人との関係において重要なものとなるかもしれない、とか、そんなことすら考えさせるようなお話である。
冒頭のここに迷い込んだ探偵と老婆のやりとりが凄い。条あけみさんの凄い迫力に圧倒される。彼女の登場するこの冒頭の10分ほどを見るだけでもこの作品を見る意味がある、なんていうと、他のキャストに叱られそうだが、震えるオープニングなのだ。
だが、本編となる芝居自身は、詰めが甘い。いつものことだが、そこがNGRの弱さであり、浦部さんの優しさなのだが、過激なことを言わないで常識の範囲何で納めてしまうからつまらない。でも、そこを超えてしまうとNGRではなくなるのかもしれない。野外劇にする必要性のない芝居ではないか、と思わせといて、ラスト、当然の解放感(後ろの幕が開いて難波宮の自然と闇を借景として取り込む)が、作品のテーマを指し示す。
実に上手いラストである。このシーンを見せたいがための2時間20分だったのではないか、と思わせる。今回はそこにスペクタクルではなく、世界の広がりを描く。ちゃんとテーマとリンクする必然性のあるラストだ。目に見えている世界の背後にある本当の世界。それはいったいどこにあるのか。観客を幻惑させる秀逸なラストである。ラストで再び(当然!)条さんが登場する。彼女を含むすべての人たちがこの「世界」に取り込まれていく。それだけに詰めの甘さが惜しまれる。
わかりきったことだが、「さらば銀色テント!」と銘打たれた今回の作品が浪花グランドロマンの最終公演ではない。彼らの旅はまだまだ続く。