小津作品連作シリーズ(まぁ、勝手に僕が言ってるのだが)最新作であり、とりあえず当座の最終作品として、この作品を選んだ。18作品を購入したのだが、さすがに少し疲れた。戦前戦中の無声映画は、さすがにツライ。先日見た『東京の女』なんて、いらいらした。
そこで、日和って、今回はこれにした。小津の傑作群と同じ傾向の作品で、なおかつ僕がまだ見ていないものって、これだけなのだ。田中絹代、高峰秀子主演というのがめずらしい。今回もヒロインの名前は確信犯的に「節子」で、田中絹代が演じた。
映画自体は残念ながら、たいした作品ではない。キャスティングミスだ。高峰秀子は小津作品では生きない。奔放な女の子というキャラクターは、彼女にぴったりで、すぐにベロを出すのが癖とか、(なんとなく)考えてあるのだけど、わざとらしい。彼女自身もこの映画の中で「奔放」を演じているだけで、まるで奔放ではない。木下作品ではあんなにも奔放な彼女が(それは『二十四の瞳』であろうとも、である!)ここでは、とても不自由に「奔放」をしている。うそくさい。彼女は小津世界の住人ではないのだ。
だから、映画は全体のバランスを欠くこととなった。実に微妙な問題なのだが、それくらいにこれは完璧に作られた世界だ、ということなのだ。そんななかで高峰秀子は生彩を欠く。上原謙を巡る3人のドラマもパターンなのだが、そのパターンがきれいに決まらない。
山村聡演じる節子の夫もあまりに薄っぺらで、冒頭に出てくる余命いくばくもない笠智衆の父親もワンポイントリリーフの域を出ない。今回は父と娘のお話ではないのだけど、あんな中途半端な描き方はないだろう。要するに天下の小津であっても、こういう失敗はあるということなのだ。
昔の映画を見るのは、今では滅多にないこと(20代までで、めぼしい作品は全部見た!)だが、たまにこういうのも悪くはないな、とは思うけど、それは「たま」でいい。僕は、たとえつまらないものであっても、今の映画を見るほうがいい。