小林啓一監督の新作。『逆光の頃』を見て注目した。その不思議なテイストは今回の作品にも引き継がれている。主な登場人物はたった6人。しかも二人ずつがペアになっていて、3つのふたりのやり取りが描かれそれらは基本、交錯することはない。だけど、3話からなるオムニバスでもない。この高校の中で過ごす3組の男女の物語。こんなにも関係性が希薄で、お話が交わらないまま2時間続いていくような映画を見たことがない。
映画は基本2人の横並びでの会話で展開していくから、変化がない。長回しも多いが横並びのふたりを追いかけるだけなので単調。だけどそれが退屈かというと、それどころかそこには異常な緊張感がある。死にたいという彼女とかかわる彼の話。美人だと自分でも自覚している女の子とそんなめんどくさい彼女の友だちである女の子。好きと言い続ける男の子とそんな彼に付きまとわれている(けど、それを拒絶するのではなく受け入れている)女の子。この6人の話だ。
短いエピソードの連鎖。そこから少しずつ関係性が変化していく。分かり合うとかいうのではない。ただそこにいる。お互いにお互いを必要としていることは確かだろう。でも、そこから世界は広がらない。二人で閉じている。でも、その先には明るい未来が見えてくる。実に不思議ではないか。
でも、もしかしたらこんなふうにして人は生きていく、のかもしれない。だからこそあのラストのいきなりの展開は惨い。でも、あんな惨さのなかで僕たちは生きているのかもしれない。そこにも真実がある、気がする。
この世界の姿を垣間見る。死んでしまった蜂をゴミ箱に捨てる人がいる。その蜂をの死骸をゴミ箱から探し出し花壇の土の中の埋める人もいる。それが桜井日奈子演じる無表情の主人公の少女だ。お話はそこから始まる。その蜂の無残な死は、ラストシーンに呼応する。口癖のような「死ね、」「好きだ。」の繰り返し。その単調なリズムが持続する奇跡の2時間2分。