これはもう僕の趣味の問題かも、と思いながら、この作品を読む。先日見た荒井晴彦監督の力作『この国の空』を見て、あまり乗れなかったのを、不思議に思ったけど、あの作品のラスト「彼女の戦争はここから始める」に被せて『私が一番きれいだったとき』が流れるのは違うと思ったことも、それはスタンスの問題なのかも、と今なら思える。
荒井監督は彼女の選択、選ぼうとする道を肯定的に捉える。彼女自身の攻撃的姿勢を肯定的に捉えるのだが、僕はそういうのは苦手だ。19歳の少女の不倫地獄への序曲のようにこの映画を捉えたくはない。それが自由だなんて思えない。
抑圧された戦時中の自分を解放するようなカタルシスが欲しいのではないけど、あの終わらせ方はどうにも腑に落ちない。だから、同じ時に読んでいた小説『波止場にて』の2人の少女のほうがリアリティがあると、思ったのだが、さらに今日、この小説を読んで、僕が『この国の空』という映画に勝手に求めていたイメージはこれだったのだな、と感じた。
昭和16年開戦のころを舞台にした夫婦愛の物語だ。病魔に蝕まれて静かに衰えていく妻を毎日病院に通いながら見守る夫。彼らふたりのひそやかな日々のスケッチである。少しずつ病状は悪化をたどる。どうしようもない。やがては会話も禁じられてしまう。しゃべれなくなるのだ。だが、筆談で心を通い合わせる。そんな彼らを静かに見守る。
淡々と綴る。ここまでしなくてもいいんじゃないか、と思うくらいにさりげない。もともとこういうのは好きだけど、そんな僕ですら、ちょっと、と思うくらいなのだ。感情を交えず、まるで身辺雑記のように自分と妻の時間を客観的に描いていく。だが、それがだんだん心地よくなってくる。彼の想いが抑えたタッチの中から確かに伝わってくるからだ。静かに死に近づく妻を感情的になることなく、見守る彼の内面が伝わる。空っぽな心が愛しい。幼馴染でそのまま結婚して、お互いの気持ちが手に取るようにわかる。そんな理想のふたりなのだが、病魔から逃れるすべはない。だから、それを真摯に受け止め、ただ誠実に生きる。運命を呪うでもなく、今、一緒にいられることを大切にする。そんな小説だ。