昨年の夏に上演した作品を早くも再演する。これは確かに衝撃的な作品だったし、もちろん彼らの最高傑作だ。それだけに前回の公演は悔いを残したのかもしれない。もっとできたはず、というのが中川真一さんの中であったのだろう。だからこれはリベンジなのだ。
これだけ短いインターバルでの再演は、前回の欠点を拭い去るものとなった。2作品は準備公演と本公演という感じの位置付けになろう。よかった。そして、なによりも、よりたくさんの人たちにこの作品を見てもらえてよかった。
死んでしまった2人の子供たちが全編に登場して生きている主人公たちを厳しい目で見守る。このお話自身を、また、彼らの生き方に、ジャッジを下す。(前回の初演では、この2人のシーンはなかったのではないか? もしそうだったなら、これはすごい進歩だ。)
ふたりはそれだけのことをしてもいいはずだ。本来なら生きていたはずの命である。自分たちを犠牲にして、のうのうと生きる奴らに痛烈な批判を投げかけてもかまうまい。白い衣装を纏う彼らは彼らを殺した母親と兄。さらには母親の再婚相手。生まれてきた弟によって繰り広げられるこのドラマの傍観者となる。2歳と4歳で死んだ彼らの視点が時折はさまれていくことで、このお話はストレートではなくなる。
もともと時制も複雑に交錯するし、人間関係も単純ではない。複数の視点からドラマは行き来するから、わかりにくい。演じる役者も子供時代と大人になった今を同じ役者がほぼ衣装もそのままで演じるから必要以上に混乱する。(その辺は前回と同じだ。少し工夫してあるけど)だが、敢えて丁寧に些末まで描く姿勢は変えない。すべては繋がっていくからだ。
母親は高校生の時に彼(この長男が一応のこのドラマの主人公だ)を生む。その後、父親はいなくなり、他の男の子を2人産む。それが死んでしまった2人だ。さらには別の男との子供をおなかに宿している。
刑務所から出てきた彼女を迎えるのは、あの時おなかにいた子供だ。成長して大人になっている。(彼がもうひとりの主人公だ)
やがて母は死に、ふたりの主人公が出会うことから話は始まる。どうしてこういう構成にしたのか。今では不在の母親を巡る2人の話(彼らの結婚を巡るお話もそれぞれある。彼らの今を交互に描くのだ)が並行して描かれ、母親の高校時代から死までもがフォローされていく。子供を巡るお話は虐待死という事件にとどまらない。何のために生まれてきたのか。何のために生きていくのか。命と人生を巡る壮大なお話なのだ。
初演では単純な装置しか用意しなかったが、今回は、かつて彼ら家族の住んでいた部屋舞台中央に作り込み、そこがなんと回り舞台となる。その周辺のテーブルとイスは、今の彼らが暮らす家になる。中心と周辺という構造を明確にして、ドラマを見せるのだが、あまりそれが効果を上げていないのが惜しい。ドラマがあの日に向けて収斂していくような構成で、空間もそれを生かせたならよかった。(ここまで書いてきて、改めて思うのは、ふたりの死者はやはり初演では登場しなかったのではないか、ということだ。そこが気になる。)
いろんな部分で細部まで前回の心残りを払拭するための工夫が凝らされてある。しかし、丁寧すぎて、反対に不要な部分まで残してあるのが気になる。説明過多なのだ。特に終盤はやりすぎ。あと10分短くできる。もうここで終わったな、というシーンの後、10分くらいダメ押しのような説明描写が続くのはうんざりだ。子供が生まれるシーンで十分なのだ。その後のすべての説明は不要だ。
初演と比較するのは好きではないけど、初演のインパクトが大きかっただけに、今回は少し肩すかしを食らう。新しい発見はない。前回から、進化した部分がないのだ。反省を踏まえた丁寧なリメイクの域を出ない。だが、今回初めて見た人には十分なインパクトを与えたはずだ。もちろん荒削りだった前作以上に完成度は高い。衝撃的な傑作である、ということには変わりはない。