2019年キネマ旬報ベストテン第3位になった作品だ。主演男優賞も受賞した。昨年を代表する1作なのだろう。ベストテンの作品で僕が唯一見てなかった映画だ。『ディストラクション・ベイビーズ』の真利子哲也監督作品だから、ある程度は想像していたけど、一応ラブストーリーみたいだし、前作のようなことはないだろうと、思ったが甘かった。予想を大きく越え暴力的な映画で、衝撃的だった。主人公だけでなく、出てくる人物がみんな暴力的で、自分のことしか考えていない。行動だけでなく、考え方が歪で付き合いきれない。人を不愉快にさせる映画なのだ。でも、それはきっと作り手の狙いでもある。
宮本の行動は自分勝手でまるで彼女のことを考えてない。こんなこと、君のために、なんてならない。本人は全力投球のつもりかも知れないけど、意味がない行為だ。映画はそんな彼を肯定している。だから気分が悪い。とんでもない暴力に合い、それを彼なりのやり方で乗り越えていくのがこういう事でいいのかと思う。暴力に対して暴力で向き合う。やり返すことに何の意味もない。そんなことをしても彼女も喜ばない。でも、やる。映画はその行為の後から始まり、彼の決断後の行為を追いかける。そして、やがて、ドラマの起点であるラストの暴力へとつながる。だがそれはなぜ、そこに至ったのかの過程を見せることが目的なのではない。決断後から逆算して、行為へとたどりつく。(それは説明でしかない。)
彼だけではなく、この映画に登場する誰もがそうなのだ。こんなにも自分勝手でいいのかと思うほど、わがままで、えげつない。だから誰にも共感できない映画だ。だけど、そんな暴力の連鎖から目が離せないことも事実で、一体これはどういうことなのかと、見守り続けることになる。
何が起こったのか、わからないまま、映画はどんどん進んで行きながら、随所に過去を適時挿入して、ラストの暴力シーンで、すべてがつながる。ぼろぼろになった彼の笑顔はなんだか、わけがわからない。充実感とか、達成感とかそういうものとはほど遠い。だけど、それが答えみたいなものらしい。理屈ではない。彼以外のすべての登場人物が多かれ少なかれ、そんなふうにわけのわからない自己満足の行為に走る。ここにはまともな人はいない。でも、人間はみんなそんなものなのかもしれない。誰もがわけのわからない自分の理屈で動いている。だからわかり合うことはない。でも、なんとかそれでも噛み合い、なんとか生きている。それってなんなのだろうか。宮本の思いは中野に伝わったか。彼らが結婚して子どもが生まれる。その先に何が待ち受けるのか。ラストで宮本がいつまでも救急車を呼ばなかったのは、パニックになっていたからなのか。それより何より中野自身がさっさと救急車を呼ぶべきなのに。冗談ではなく。大丈夫か、こいつら。
彼らには冷静さのかけらもない。感情だけで人間は生きているわけではない。なのに、この始末だ。ふざけているわけではなく、本気でこの映画はぶつかり合う。人と人とがぶつかり砕けるまで戦う。そんな暴力的な映画から目が離せない。わけのわからない映画で、ただただ2時間10分突っ走る。それだけ。