震災で犠牲になった犬たち。これは彼らを救うことが出来なかった人間が、彼らと共生する世界を作ろうとする話だ。偶然にもこの夏公開される『ロック わんこの島』も同じようなテーマを扱う。(みたい、だ。予告編しか見てないから間違ってたならごめん)災害によって見捨てられた犬とその飼い主の話で、こういうのって前にもあった。『マリと子犬の物語』とかそんなタイトルだった。余談でした。
この芝居は「人と犬(わんころ)とが共に幸福に生きる世界を作る」という物語を、人と犬の両方の側から見せていこうとする。こんなふうに書けばなんだかほんわかとしたファンタジーのように思えるかもしれないが、これはとても切実なドラマだ。単純そうに見えて複雑だが、この基本設定が最後までぶれない。このお話がどこにたどりつくのか、緊張感は最後の最後まで破綻することなく持続するのは凄い。どこかで底が割れるのではないかと、途中からかなりドキドキした。それくらいによく出来たストーリーラインと展開だったからだ。
わんこたちの逃亡するシーンから始まる。魔物が町を襲い、ヒトはわんこたちを置き去りにして逃げた。なのに、彼らは魔物の襲来の予感をヒトに伝えられなかった自分たちのふがいなさを嘆く。全てのヒトは彼らを置き去りにしたわけではない。泣く泣く彼らを置いて逃げたのだ。そのことを、わんこたちもわかっている。スリリングはオープニングである。
わんことヒト、という図式をいかに超えていくか。作者(中嶋悠紀子)の想像力と観客のそれとのせめぎ合いの果てに芝居は一体どこまで行き着くことが可能なのか。この作品はそれへの挑戦である。久々に正しい演劇の在り方を見事の提示する作品となった。芝居を見ながらここまでドキドキしたのは、久しぶりのことだ。しかも芝居自体はけっこう綱渡りなのである。どこから綻ぶのか不安になるくらいに微妙なのだ。だから、余計におもしろい。
作者の指し示す「魔物」というイメージは「震災」という言葉に置き換えることは簡単だ。彼女のなかでそれは明確に阪神大震災なのだが、今回の東日本大震災とも当然重なる。未曾有の災厄に遭遇し、そこからどう立ち向かうのか、という話が根底を流れる。無力感に打ちひしがれて、でもそこで立ち止まらない。この芝居は震災を扱った物語、という次元から想像しうるものを易々と超えていく。これは、人が生きていくために何が必要なのかを突き詰めていく物語だ。超号級の災害の中で、ヒトとわんころ(もちろん、犬だけではない。そこに象徴されるすべての生き物たち)に何が可能なのかを突き詰めていく。
『地獄の黙示録』でカーツが見た夢を、現実の世界で同じようなものを、なっちゃんたちは作ろうとする。もちろんそんな夢物語は最初から不可能だ。ヒトとわんこの共存というお題目は、他ならぬ人間たちのエゴによって簡単に壊されてしまう。実に痛ましい。なっちゃんの心の中にある傷みは、みんなを死なせてしまったことだ。あの震災でヒトもわんこも同じように死んでいった。だが、自分は生き残った。生き残った自分に何が出来るのか、その想いが彼女を突き動かす。彼女の願いは届かない。それは教え子を死なせたウメトラ先生も同じだ。子供たちへの悔恨が生き残った彼の妻を苦しめることにすら気付かない。
人間たちの甘い理想は、ドラマの終盤でこなごなに砕け散る。しかし、それなのに、ここには未来に向けての夢が残る。犬になったミヤコのおなかに宿る新しい生命。そこから生まれてくるのが犬であろうと人であろうと、かまわないと彼女の夫であるウメトラは思う。それを守り育てることが今の彼に出来る使命なのだ。そんな彼の覚悟のほどがしっかりと伝わってくる。この世界にはまだ希望がある。
この芝居は「人と犬(わんころ)とが共に幸福に生きる世界を作る」という物語を、人と犬の両方の側から見せていこうとする。こんなふうに書けばなんだかほんわかとしたファンタジーのように思えるかもしれないが、これはとても切実なドラマだ。単純そうに見えて複雑だが、この基本設定が最後までぶれない。このお話がどこにたどりつくのか、緊張感は最後の最後まで破綻することなく持続するのは凄い。どこかで底が割れるのではないかと、途中からかなりドキドキした。それくらいによく出来たストーリーラインと展開だったからだ。
わんこたちの逃亡するシーンから始まる。魔物が町を襲い、ヒトはわんこたちを置き去りにして逃げた。なのに、彼らは魔物の襲来の予感をヒトに伝えられなかった自分たちのふがいなさを嘆く。全てのヒトは彼らを置き去りにしたわけではない。泣く泣く彼らを置いて逃げたのだ。そのことを、わんこたちもわかっている。スリリングはオープニングである。
わんことヒト、という図式をいかに超えていくか。作者(中嶋悠紀子)の想像力と観客のそれとのせめぎ合いの果てに芝居は一体どこまで行き着くことが可能なのか。この作品はそれへの挑戦である。久々に正しい演劇の在り方を見事の提示する作品となった。芝居を見ながらここまでドキドキしたのは、久しぶりのことだ。しかも芝居自体はけっこう綱渡りなのである。どこから綻ぶのか不安になるくらいに微妙なのだ。だから、余計におもしろい。
作者の指し示す「魔物」というイメージは「震災」という言葉に置き換えることは簡単だ。彼女のなかでそれは明確に阪神大震災なのだが、今回の東日本大震災とも当然重なる。未曾有の災厄に遭遇し、そこからどう立ち向かうのか、という話が根底を流れる。無力感に打ちひしがれて、でもそこで立ち止まらない。この芝居は震災を扱った物語、という次元から想像しうるものを易々と超えていく。これは、人が生きていくために何が必要なのかを突き詰めていく物語だ。超号級の災害の中で、ヒトとわんころ(もちろん、犬だけではない。そこに象徴されるすべての生き物たち)に何が可能なのかを突き詰めていく。
『地獄の黙示録』でカーツが見た夢を、現実の世界で同じようなものを、なっちゃんたちは作ろうとする。もちろんそんな夢物語は最初から不可能だ。ヒトとわんこの共存というお題目は、他ならぬ人間たちのエゴによって簡単に壊されてしまう。実に痛ましい。なっちゃんの心の中にある傷みは、みんなを死なせてしまったことだ。あの震災でヒトもわんこも同じように死んでいった。だが、自分は生き残った。生き残った自分に何が出来るのか、その想いが彼女を突き動かす。彼女の願いは届かない。それは教え子を死なせたウメトラ先生も同じだ。子供たちへの悔恨が生き残った彼の妻を苦しめることにすら気付かない。
人間たちの甘い理想は、ドラマの終盤でこなごなに砕け散る。しかし、それなのに、ここには未来に向けての夢が残る。犬になったミヤコのおなかに宿る新しい生命。そこから生まれてくるのが犬であろうと人であろうと、かまわないと彼女の夫であるウメトラは思う。それを守り育てることが今の彼に出来る使命なのだ。そんな彼の覚悟のほどがしっかりと伝わってくる。この世界にはまだ希望がある。