ニコラス・ケイジがバットマンを演りたかっただけではないか、と思わせるくらいにこの映画のビッグ・ダディーはバットマンそのものだ。しかも、なかなかかっこいい。こういう中年バットマンが見たかった、と思わせる。彼こそがこの映画の主人公である。公開時にはヒット・ガールを演じたクロエ・グレース・モレッツちゃんばかりが、注目されたが、そんな掃いて棄てる程あるありきたりな言説はここでは一切語らない。
彼女がかわいいとか、かっこいいとか、そんなこと、ちょっと見たら誰にでもわかることだ。だいたいこの映画は、彼女がおいしいところだけをかっさらっていくように作られてある。そんな映画を見て、彼女を褒めてどうする? そんなことよりも、映画全体のストーリーラインの巧みさこそ、評価されてしかるべきだ。
ただのヒーロー物コミックのおたく少年が、コスプレをしてヒーローになる、なんてアイデアはもう古い。なのに、それがこんなにも生き生きとした映画になったのは、この地味な主人公(アーロン・ジョンソン)をリアルな存在として全編ぶれることなく描ききった台本の力だろう。彼をしっかり描いたからこそその後の荒唐無稽も説得力を持つことになったのである。
そして、もう一転忘れてはならないことがある。それはやはり、この作品全体の屋台骨となり支えたニコラス・ケイジの存在なのだ。彼の徹底したなりきりぶりが、このお話にもうひとつのリアルを与え、これを成功へと導くこととなった。これをバカバカしいヒーローものと一蹴させないためには、彼が演じるビック・ダディーにバットマン以上の説得力が必要だった。
ブルース・ウエインを動かしたのは正義だった。さらに、彼には巨万の富があった。それを背景にして、お金にもの言わせるヒーローを造型したのが『バットマン』だったが、この映画のニコラスは復讐のためにすべてを投げ出す。でも、それだけでは、無理なので、彼も背景に潤沢なお金を持つ。結局はお金である。(まぁ、彼は徹底した軍事おたくでもあるのだが)
マシュー・ヴォーン監督は、この作品の成功のあと、『Xメン ファースト・ジェネレーション』を任され、満を持してのメジャーデビューを果たす。しかし、せっかくのチャンスを彼は生かし切れなかった。そのことはこのブログでも、書いたとおりだ。ああいう大作映画は難しい。『キックアス』では可能だったリアルが『Xメン』では不可能だったのは、リアルをどこに求めるか、ということの判断ミスである。
おきまりのパターンを踏まえながら、それの裏をかくのだ。そんなこと、彼にはわかっていたはずなのに、メジャー大作の重圧と、大好きなXメンへの距離の取り方を見誤ったことで、せっかくのチャンスを無駄にした。おきまりのパターンをはずすことは出来ないし、したくもないから、あんなことになる。でもあそこで描かれた状況の中ででも、主人公たちの心情をリアルに描けたはずなのだ。そこを突き詰めなくては彼に勝ち目はなかった。
『キックアス』の成功はその裏返しだ。パターンを上手く使い、主人公のリアルをそこに挟み込むことで、安心して見られる作品にした。ここには意外性はいらない。
彼女がかわいいとか、かっこいいとか、そんなこと、ちょっと見たら誰にでもわかることだ。だいたいこの映画は、彼女がおいしいところだけをかっさらっていくように作られてある。そんな映画を見て、彼女を褒めてどうする? そんなことよりも、映画全体のストーリーラインの巧みさこそ、評価されてしかるべきだ。
ただのヒーロー物コミックのおたく少年が、コスプレをしてヒーローになる、なんてアイデアはもう古い。なのに、それがこんなにも生き生きとした映画になったのは、この地味な主人公(アーロン・ジョンソン)をリアルな存在として全編ぶれることなく描ききった台本の力だろう。彼をしっかり描いたからこそその後の荒唐無稽も説得力を持つことになったのである。
そして、もう一転忘れてはならないことがある。それはやはり、この作品全体の屋台骨となり支えたニコラス・ケイジの存在なのだ。彼の徹底したなりきりぶりが、このお話にもうひとつのリアルを与え、これを成功へと導くこととなった。これをバカバカしいヒーローものと一蹴させないためには、彼が演じるビック・ダディーにバットマン以上の説得力が必要だった。
ブルース・ウエインを動かしたのは正義だった。さらに、彼には巨万の富があった。それを背景にして、お金にもの言わせるヒーローを造型したのが『バットマン』だったが、この映画のニコラスは復讐のためにすべてを投げ出す。でも、それだけでは、無理なので、彼も背景に潤沢なお金を持つ。結局はお金である。(まぁ、彼は徹底した軍事おたくでもあるのだが)
マシュー・ヴォーン監督は、この作品の成功のあと、『Xメン ファースト・ジェネレーション』を任され、満を持してのメジャーデビューを果たす。しかし、せっかくのチャンスを彼は生かし切れなかった。そのことはこのブログでも、書いたとおりだ。ああいう大作映画は難しい。『キックアス』では可能だったリアルが『Xメン』では不可能だったのは、リアルをどこに求めるか、ということの判断ミスである。
おきまりのパターンを踏まえながら、それの裏をかくのだ。そんなこと、彼にはわかっていたはずなのに、メジャー大作の重圧と、大好きなXメンへの距離の取り方を見誤ったことで、せっかくのチャンスを無駄にした。おきまりのパターンをはずすことは出来ないし、したくもないから、あんなことになる。でもあそこで描かれた状況の中ででも、主人公たちの心情をリアルに描けたはずなのだ。そこを突き詰めなくては彼に勝ち目はなかった。
『キックアス』の成功はその裏返しだ。パターンを上手く使い、主人公のリアルをそこに挟み込むことで、安心して見られる作品にした。ここには意外性はいらない。