「まるで少女マンガじゃないか、」という感想には意味がない。これは少女マンガなのですから。だから、それってほめ言葉にしたらいい。そうなんです。褒めてます。感心してます。よくぞまぁ、ここまでちゃんと少女マンガの世界を再現したものだ。普通ならバカバカしい、となるところかもしれない。かなり危険なラインで勝負している。監督は『映画 ひみつのアッコちゃん』などの川村泰祐。アッコちゃんの時もそうだったけど、でも、この今回の徹底ぶりはあっぱれだ。ふざけているのではない。とことん本気でやっているのだ。バカバカしいと思うと、ついていけなくなる。そのスレスレでバランスを取る。
特に役者たちが素晴らしい。自分のすべきことを本気でやっている。池脇千鶴なんて顔すら見えない役なのだ。セリフもほとんどない。でも、そこにいるだけで、安心させられる。ここに登場する5人のオタクたちは大なり小なり、そんな彼女と同じ。自分を殺して役になりきる。そんなこと、プロの役者なのだから当たり前だろ、なんて言わさない。それって困難な業なのだ。とくにこういうタイプの映画においては。浮いてしまうことが一番怖い。はしゃぎすぎて、場違いになったりもする。自然にそこに存在するのは至難の業。なのに、彼女たちは見事それをやってのけた。
しかも、そこに介入する2人の男たち。特に女装の菅田将暉の違和感のなさは凄すぎる。男子禁制、女だけのアパートにこんなにも自然に溶け込んで、彼女たちが不審に思わない、という設定を難なくクリアした。そして、長谷川博巳。30過ぎた童貞男を、本気で演じている。エリート政治家候補のカッコイイ男なのに、今まで女の子と付き合ったことがない。自分に自信がない。でも、悲しい男ではなく、誠実で真面目な男だ。政治家である父親のもとで、彼の地盤を引き継ぐため、秘書として頑張っている。そんな彼が一目ぼれするのが、能年怜奈演じるさえないヒロイン。クラゲオタクの女の子。めがねを外したなら、実はかわいい、という往年のパターンを踏襲する。でも、そこはあくまでも追わない。クラゲオタクである彼女こそが本当の彼女で、表面的にはダサくてさえない女の子でいい。でも、彼女の輝きは本物で、彼はそんな彼女に惚れるのだ。見た目ではなく、本当の姿をちゃんと見る。
この映画が大切にしたのはそこなのだ。マンガのような設定とキャラクターを、きちんと見せることで、そこに生じるリアルな感触。そんな綱渡りをこの映画は挙行する。クライマックスのファッションショーのシーンはパターンだし、いかにも、の展開にはなるが、そこは仕方ない。
大事なことはそこに至るまでの彼女たちの日常を描く部分だ。彼女たちは現実世界に適応できない自分たちを悲観していない。わかりあえる仲間との信頼関係を大切にして、ひっそりと生きる。みんなに理解してもらおうなんか思わない。世の中にはわかりあえない人たちはいる。でも、ちゃんとわかってくれる人もいる。そんな当たり前のことに安堵する。ほんの一握りの友だちがいればいい。世の中にはたくさんの敵がいる。それは彼女たちでなくても、誰にとっても、だ。それはそれで仕方ない。でも、ちゃんとわかってくれる人がいるのって、素敵だ。そんな友だちに囲まれて、ひっそりと生きている彼女たちがうらやましい。菅田と能年のカップルが、ちゃんと「友だち」のままなのもいい。いつか、恋人同士になる日が来るかもしれないけど、それはまだまだ先のお話なのだ。彼らには時間がある。ゆっくり自分たちの関係を見つめていけばいい。