この寂しいお話はいつも通りの吉田篤弘の世界だ。『流星シネマ』と呼応する作品である。姉妹編の女の子版。今回は一人ぼっちの女の子が幻のお友だちであるチェリーを(彼女は女の子の頭の中にいる!)心の中で作り上げる。
女の子といってももう20代の後半になる。3年間在籍した楽団(彼女は一応その楽団のオーボエ奏者だ)が解散になり、その後はどこにもいかず、屋根裏で暮らす日々。友だちは幻の存在である小さなチェリーだけ。もちろん子供じゃないんだから彼女がただの幻であることも十分わかっている。だからチェリーの存在は誰にも言わない。頭がおかしいと思われるという不安からではない。誰にも理解されないだろうことが十分にわかっているから。周りには誰もいない。両親や兄弟姉妹という家族もいない。残されたのはこのオンボロアパートだけ。ここの住人によるわずかな賃貸収入だけが彼女の生活費。今はそれでいいと思っている。おんぼろアパートの屋根裏で暮らし、仕事もせず、無為に過ごす。
そんな彼女に変化が生じる。気が付くと、少しずつ、彼女の周りに人々が集まってくる。そして、やがてチェリーは消えている。もう大丈夫。もうひとりではない。これはどこにでもありそうな(実際に小説ではこのパターンは「よくある」!)そんなお話なのだ。
まぁ、ある種のハートウォーミングなのだけど、「心温まるお話」。というわけではない。あくまでもこれはまず「寂しい話」なのだ。大事なことはその一点に尽きる。彼女がその寂しさと向き合い、ちゃんと生きていく。だから、そこに徐々に人が集まってくる。彼女は誰かに自分の寂しさを慰めてもらいたいわけではない。人に頼るのではなく、ちゃんと自分と向き合う。
「そして、冬はある日、何の予告もなしに終わってしまう。」という冒頭の一文だけで、この小説のすべてが表現されている。それと「行きなさい」という伯母さんの声。すべてがそこに集約される。
直接は何も描かれない。お話だってほんの少ししか動かない。だけど、それがなんだかとても気持ちがいい。でも確かにゆっくりとは動いていく。この小さな町のかたすみで、彼らが(彼女だけではなく、という意味だ。これは彼女が出会う人たちとの群像劇でもある)生きている。この小さな町で出会う。それは偶然なのかもしれないし、あるいは必然かもしれない。最初はひとりぼっちだったはずなのに。誰かがいる。誰かといる。なんだかうれしい。