この映画を見る前日、WOWOWによるTVシリーズを見た。とても面白くて、ぜひ映画も見たいと思い早速見にいった。このドラマを見るまで保護司の仕事なんて全く知らなかった。だから、彼らが臨時の国家公務員で、無報酬で働いているというのは驚きだった。完全なボランティアの(ような)仕事なのに、とんでもなく大変で危険でもある。(先日見た映画『ノイズ』の冒頭、諏訪太朗演じる保護司が前科者である渡辺大知に殺されているのを見たばかりだ。)
主人公の有村架純演じる女性は20代の若さで保護司になる。20代で保護司をするなんてありえないはなしである。でも、それには彼女なりに理由があることは映画の中で描かれるのだが、保護司が先生と呼ばれるのもなんだか違和感があった。だから彼女も出所した受刑者から先生と呼ばれる。さらには保護観察官(こちらは給料の出る公務員だろう)からも。でも、ここでの「先生」という呼び方は尊敬ではなく、単なる敬称でしかない。地位も名誉もない。ただあるのは自らの正義だけ。犯罪を犯したものを助けたい。彼らが更生するためのお手伝いがしたい、ただそれだけ。あり得ない仕事だ。でも、彼女はコンビニでのバイトで生計を立てながら、この仕事に取り組む。TVシリーズでは3人の元受刑者たちの保護を行った。いずれもどうしようもない状況で、もがき戦う人たちだ。彼らに寄り添い、支える。元犯罪者はいい人ばかりではない。というか、とんでもない人間のほうが多数いるだろう。さまざまな事情を抱えた人たちのどうしようもない現実と向き合う。若い女性に務まる仕事とはとても思えない。
ドラマを一気に見た。見始めたら止まらない。1本が30分ほどのミニシリーズで6話しかないから、負担は大きくはない。だけど、描かれる内容がヘビーだから、見終えたときにはクタクタになってしまった。だけど、こんな困難のなかで、彼らなりに戦い、それを佳代ちゃん(有村です)が、全力で支える姿は感動的だった。映画(TVシリーズだが)を見ながらこんなにも素直に感動したのは久しぶりのことだ。簡単ではないことに向かい、支える姿が眩しい。ドラマは保護司の1年目の日々が描かれる。
映画はTVシリーズの数年後か。ある殺人犯のお世話をすることになる。(ドラマは暴行、殺人とストーカー行為、薬物中毒、だったので、殺人犯は初めてではない)森田剛が演じる。たぶん『ヒメアノール』以来のスクリーンである。今回は一見おとなしそうな男。でも森田が演じるとそれだけでは終わらない。狂気を孕み持つ。冒頭で吉野家(たぶん)の牛丼を食べるシーンがある。脂身ばかりであまり旨そうではない。それを無表情で一気に食べる。その後有村のところに行き、いつものように彼女の手作り牛丼をよばれることになる。(毎回、彼女はまず牛丼で元受刑者を迎える、というのがTVからのお約束)上等なお肉が使われていておいしそうだ。そんななんでもないエピソードがなぜか、気になる。
映画は2時間13分の大作で、事件も連続殺人を扱い警察が登場する。(TVシリーズでは警察の出番はない)正直言うと、TVシリーズのほうが胸に痛い。こんなふうにお話が大きくなると彼女の比重が小さくなる。これは新米保護司である彼女の手に余る。映画版だからそうした、というわけではないだろうが、こういうところに映画化の悪癖が出たのが残念だ。お話の作りも甘い。彼女がなぜ保護司になったのかが描かれるが、元恋人(といっても、中学時代淡い恋の話なのだが)である刑事とのやりとりも含めて、お話の作りが甘くリアルではないも残念だ。彼女が保護司を目指すきっかけになる殺人事件で死ぬのが恋人の父親という偶然はいささかドラマチックすぎてこの映画のテイストには合わない。
森田たちの犯行は逆恨みでしかない、と思う。母親の死に結果的に関与した人たちを殺していくというのは、昨年の『護られなかった者たちへ』もそうだったが、いくらなんでも嘘くさい。たとえ殺したいほど憎くてもふつう殺さない。一線を越えてしまうのは偶然であろう。だから連続殺人という計画的犯罪はこのケースの場合納得し難い。母親を殺した父親だけではなく、母親の訴えを受け入れず揉み消した警官、役所の担当者、児童保護施設の職員、というのはどうだか。最後に父親ではなく殺すなら最初に父親ではないか?(銃を奪うために最初は警官、はありだけど)
ドラマチックになりすぎて、お話が自体がどうしても甘くなったのが残念だ。ラストで病室に彼女が先に入るのはともかく、そのあとの彼女の行為を警察や弁護士が病室の外で待ちずっと見守るのも、甘いしあれでは嘘くさい。
そんなこんなで映画ならではの展開による弊害は多々あるのだけれど、この作品の描く世界はとても新鮮で、胸に沁みる。良心的な映画だ。見終えたときに確かにいい映画を見たという満足感がある。