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映画・演劇のレビュー

宮下奈都『遠くの声に耳を澄ませて』

2009-06-18 21:49:47 | その他
 「くすんでいた毎日が、少しずつ色づいて回りはじめる。」このコピーに心惹かれた。この本を読んだのは正解だったようだ。この短編集には心地よい風が吹いてる。最初の『アンデスの声』を読んだ時、胸がいっぱいになった。このちいさな町から生涯、一歩も(ではないけど、まぁ、ほんとは「ほとんど」くらいだ)出ることもなく、生きて、そして死んでいく。そんな老人の心の中に広がる風景。じっちゃんとばあちゃんとの暮らし。孫である彼女の心の中にも、同じ風景が広がる。エクアドルの首都であるキト。当然行った事もない場所なのに。そこは、じっちゃんのとっては特別の場所。

 幻の場所を夢見る時間。それが人を勇気付ける。この短編集には、どの作品にも同じようにここではない「どこか」が描かれる。実際にそこに行くケースもあるが、大事なのはそこがどれだけ素晴らしいか、ではない。夢見る力。それが大事なのだ。波照間島からの電話。旅先から届く葉書。誰も知らない町。ずっと追いかけた夢。ここではない何処か。

 いくつかの短編は微妙にリンクする。あっ、これどこかで見た、と思う。ページを繰る。でも、別に互いの因果関係を確認なんかしなくてもよい。広い世界ではだれもがどこかですれ違っていてもおかしくない。そんな程度のことだ、と思う。

 子どもの頃、遠い外国を夢に見た。きっと一生訪れることがない場所。そんなところになぜかいる幼い日の僕。パリの石畳。路地裏。ロンドンや、ローマ、ニューヨークの街角。世界の片隅に僕がいる。ここではない、どこか。そこを旅している。なんだかとても懐かしい。今ならいつでも行こうと思えばすぐに行ける。だが、それはあの日夢見た場所ではない。外国でも、日本でも、同じだ。旅していて地図も持たずに迷子になるのが、好きだ。あれってきっとあの日のあの思いが今も続いているからだろう。

 このとても小さな小説を読みながら、とても幸せだった。終わらない毎日。でも、そんな毎日の中で立ち止まる瞬間。僕たちはきっとずっと旅を続けている。いつか見た永遠を追い求めている。なんだかとてもロマンチックで、気恥ずかしいようなことを考える。でも、それってなんだかいい気分だ。

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