北野武監督の青春映画の傑作『キッズリターン』の続編だ。何故、今頃これが映画になるのか、まるでわからない。興行的に成功するはずもない。しかも、北野武監督がやりたいと望んだのなら、まだ理解できるが、そうではない。彼は製作にタッチしていない。では、なぜ?
10年の時を経て、シンジとマサルが再会する。主役は安藤正信と金子賢から、平岡祐太と三浦貴大にバトンタッチされる。10年後ならオリジナルキャストでもいいじゃないか、と思うが、さすがに今の彼ら前作の2人に、こういう青春映画を担わせるのは酷だろう。ただ、今回の2人はあれから10年というには、まだまだ若すぎる。といっても、10代から10年である。30歳を目前に控えさすがにもう青春じゃないよな、という年齢に達した2人だから、このキャスティングは悪くはないはずなのだ。少し地味すぎる気もするが、これは華やかなアイドル映画ではない。
北野武作品と比較するのは、酷な話なのだが、それにしても物足りない映画だ。まるで盛り上がらない映画と延々付き合い、だらけた気分で醒めた目でスクリーンと対峙する。まるで楽しくない。わざわざ劇場に来てこんな気分にさせられるなんて最悪だな、と思う。だが、それこそがこの映画のねらいなのだ。
なにもない日常生活。この先、いいことなんか何もない。どんどんつまらなくなり、それでも生きていかなくてはならない。退屈な人生がこれからもずっと待っている。それでも生きなくてはならない。人生って虚しい。
学校のグランドで2人乗りして自転車に乗って、同じところをぐるぐる回る姿が印象的だった前作を踏襲して、この映画も2人が二人乗りするシーンが象徴的に描かれる。だが、今回、彼らの自転車はまっすぐに走っていく。閉塞感ではなく、前進する姿を描きたかったのか、と言われると、そんな単純な話ではないけど、と言われそう。でも、この映画自体がどこまでも同じところで、ぐるぐる回っているからこそ、自転車だけでも、この先へと走らせて欲しいのだ。
マサルに言われて、再び、リングに立つシンジ。やがて、網膜剥離を起こし、でも、チャンピオンシップにチャレンジするシーンがクライマックスだ。それだけ聞くとお決まりの展開でしかないけど、この映画はそこで盛り上げるつもりはない。勝ち負けではなく、ただ生きている実感を得ることのほうが大事なのだ。シンジは死んだように生きてきた。それが生きることだと、言い訳して。でも、はたしてそうか? 刑務所から出所して、この町に帰ってきたマサルは再びヤクザとして、ここで生きる。だが、組は解散して、兄貴は細々と島を守っているばかりだ。華やかな人生なんかそこにはない。この映画が描くものは、そういううらさびしい風景ばかりだ。ここまで盛り上がらない映画はないだろう。地味な小品である。とてもじゃないが、映画化する意味はない。
だが、そんな企画にこだわり、少ない予算でなんとか映画にした。そこまでこだわったのは、この映画が本来描きたかったものが、ここには詰まっているからだ。これは後日談である。映画が終わった後の時間がここにはある。そしてそれこそが本当の人生の時間なのだ。その中で主人公の2人はしっかりと生きようとする。監督は北野武の助監督をしていた清水浩。難しい題材をきちんと自分の映画にした。劇場には観客はほとんど誰もいないけど、僕はこの映画の志を確かに受け止めた。傑作とは呼ばないけど、その想いは伝わる。
10年の時を経て、シンジとマサルが再会する。主役は安藤正信と金子賢から、平岡祐太と三浦貴大にバトンタッチされる。10年後ならオリジナルキャストでもいいじゃないか、と思うが、さすがに今の彼ら前作の2人に、こういう青春映画を担わせるのは酷だろう。ただ、今回の2人はあれから10年というには、まだまだ若すぎる。といっても、10代から10年である。30歳を目前に控えさすがにもう青春じゃないよな、という年齢に達した2人だから、このキャスティングは悪くはないはずなのだ。少し地味すぎる気もするが、これは華やかなアイドル映画ではない。
北野武作品と比較するのは、酷な話なのだが、それにしても物足りない映画だ。まるで盛り上がらない映画と延々付き合い、だらけた気分で醒めた目でスクリーンと対峙する。まるで楽しくない。わざわざ劇場に来てこんな気分にさせられるなんて最悪だな、と思う。だが、それこそがこの映画のねらいなのだ。
なにもない日常生活。この先、いいことなんか何もない。どんどんつまらなくなり、それでも生きていかなくてはならない。退屈な人生がこれからもずっと待っている。それでも生きなくてはならない。人生って虚しい。
学校のグランドで2人乗りして自転車に乗って、同じところをぐるぐる回る姿が印象的だった前作を踏襲して、この映画も2人が二人乗りするシーンが象徴的に描かれる。だが、今回、彼らの自転車はまっすぐに走っていく。閉塞感ではなく、前進する姿を描きたかったのか、と言われると、そんな単純な話ではないけど、と言われそう。でも、この映画自体がどこまでも同じところで、ぐるぐる回っているからこそ、自転車だけでも、この先へと走らせて欲しいのだ。
マサルに言われて、再び、リングに立つシンジ。やがて、網膜剥離を起こし、でも、チャンピオンシップにチャレンジするシーンがクライマックスだ。それだけ聞くとお決まりの展開でしかないけど、この映画はそこで盛り上げるつもりはない。勝ち負けではなく、ただ生きている実感を得ることのほうが大事なのだ。シンジは死んだように生きてきた。それが生きることだと、言い訳して。でも、はたしてそうか? 刑務所から出所して、この町に帰ってきたマサルは再びヤクザとして、ここで生きる。だが、組は解散して、兄貴は細々と島を守っているばかりだ。華やかな人生なんかそこにはない。この映画が描くものは、そういううらさびしい風景ばかりだ。ここまで盛り上がらない映画はないだろう。地味な小品である。とてもじゃないが、映画化する意味はない。
だが、そんな企画にこだわり、少ない予算でなんとか映画にした。そこまでこだわったのは、この映画が本来描きたかったものが、ここには詰まっているからだ。これは後日談である。映画が終わった後の時間がここにはある。そしてそれこそが本当の人生の時間なのだ。その中で主人公の2人はしっかりと生きようとする。監督は北野武の助監督をしていた清水浩。難しい題材をきちんと自分の映画にした。劇場には観客はほとんど誰もいないけど、僕はこの映画の志を確かに受け止めた。傑作とは呼ばないけど、その想いは伝わる。