凄い緊張感を強いられる。主人公の4人が抱えるプレッシャーをそのまま観客にも投げかけるからだ。4人と書いたが松岡茉優演じるヒロインに集約される。一応群像劇だが、彼女の視点からぶれない。原作は膨大な大作で、あれをそのまま2時間の映画にすることは不可能だ。しかも、ことばで書かれた音楽を、映画は実際の音楽として提示する。ピアノを聞かせる。その音で納得させるし、感動させなくてはならない。これは簡単なことではない。だいたい、原作小説自体が無謀だった。音楽を文字で表現するなんて、生半可なものではない。だが、真正面からそこに挑戦して、成功した。
そこで、映画である。映画には音も映像もある。見せる、聞かせることができる。だから、この傑作を映画化するのは、実は困難なのだ。結果的に観客の想像力を封印する。では、お話で引っ張っていくか、と言われると、それは無理。ドキュメントのようにコンクールの全容を見せていかなくてはこのお話は成立しないから、小手先のドラマでは太刀打ちできない。しかも、尺数が限られている。
そこで松岡茉優。すべてを彼女に委ねるしかない。彼女の震える気持ちを捉えるしかない。感情の起伏を言葉ではなく、そのしぐさや行動を通して描く。だけど、やりすぎると独り善がりになる。難しいところだ。映画の前半戦はすばらしい。心の揺れが見事にとらえられている。それを他の3人のドラマも挿入しながら、バランスよく描けた。だが、後半になると息切れしてくる。演奏のシーンが長くなればなるほど、映画の持つダイナミズムが損なわれていく。でも、演奏シーンを排除することはできない。スクリーンが緊張するほど、映画自体はバランスを崩していくのだ。もちろんその音楽自体はすばらしい。素人の僕には細かいことはわからないけど、世界的なピアニストの演奏を縦横に配してあるはずだ。完璧な音楽、そして見事な映像。だが、それは映画ではない。実際のクラシックのコンサートに及ばない。では、映画ならではのエモーションはどうすれば表現できるのか。それは人間を描くことでしか達成できない。魂の震えが、そこから伝わってくるといい。
雨の描写、荒ぶる馬の疾走。そういうイメージシーンの挿入も見事だ。感覚的に彼女の内面を捉え、ピアノに向かう彼女の想いを表現した。ことばには頼らない。最後までそれを貫く姿勢は見事だ。石川慶監督はこのありえないほど難しい題材と格闘して、やれる限りのことをした。しかし、その感動はそれ以上のものにはならない。素晴らしい映画ではある。だけども何かが足りない。