これで2年連続で年末に覇王樹座の学外公演を見ることになった。学生劇団だが、いつも気合いの入った芝居を作っているから、これを見ることが最近の年末恒例行事になっている。
開演前に映画の予告編が10分くらい流れる。(もちろんオリジナルの架空作品だ。たぶん。僕はほぼ開場時間に入ったから2回も見ることになった)
これは映画作りを巡るお話である。上演時間は100分。最初の前説では90分と聞いていたが、10分長い。芝居を見ながら最後がいらないと思った。あれをカットしたらちゃんと90分に収まったのに。なぜあんなラストを作ったのか。理解に苦しむ。あれのせいでお話自体も混沌としてしまったし。
これは高校の映像研究部の話である。まずこの「映像研究部」というネーミングに躓いた。僕らの世代は「映研」は映画研究部である。断じて映像研究部ではない。(まぁ時代が変わってしまったから、そんな瑣末な話はどうでもいいことかもしれないが、でも気になる)
それからあの部室。学校なのに、なんで座布団があるのか? しかもあのローテーブル。明らかに地べたに座ることになるけど。あんな部屋にする意図がわからない。しかも靴を履いたまま入る。
顧問の先生に見せるためだけに作る映画、という設定にも理解に苦しむ。出来上がった映画を最初に見せて評価してもらう、というのならわかるけど。それから細かいことはどうでもいいけど、創部から3年目なら同好会のはずだけど。(後からチラシで調べたら映像研究会でした)
3年の夏合宿とか、秋の文化祭で作品上映とか、さらには卒業制作とか、こいつらは受験生じゃないのか? とか。
もと高校の映画研究部員としてはいろんなことが気になって仕方ない。そして一番の問題は彼らが最後に作る映画のこと。これはこの芝居の本質に関わることだ。自分たちの1年間をドキュメンタリー映画にする、というのはいい。だけどそんなひとりよがりは誰にも届かない。卒業までに死んでしまう綾音の発案で、彼女が死ぬことに勘付いたみんなが賛同する、といういかにもな展開。お涙頂戴ドラマになるのだが、なんだかスッキリしない。
そしてあのラストである。あれではフェイクドキュメンタリーにする意味が伝わらない。主人公である優太の彼女への屈折した想いを描くのならもう少し説明が欲しい。両思いではなく実は振られていた、ということでいいけど、その痛みがあれでは伝わってこないし、わかりずらい。いろんなことがやりたいことはわかるけど、すべてが中途半端で残念だった。