小原さんは、作品のバランスを欠くことも厭わない。ギリギリまで、この作品の中にありとあらゆる情報を放り込んでいく。混沌の中でその先に見えてくる光を提示できたらいいと思う。
但し、在日朝鮮人の姉弟を中心に捉え、彼らがこの国で生きていくことの不安と恐怖をしっかり見据える作業は怠らない。ここだけは絶対外さない。
そして、彼らを囲むこの町の人たち(日本人)という図式のなかでドラマを作る。この国で生まれ、育ち、自分の中には確かに日本人としてのアイデンティティを持つにも関わらず、自分の中には、朝鮮人としての血が流れており、それは否定できない。そのことを誇りに思う。少年は日本人の無言の暴力の中で、自分自身を壊してしまう。彼が、自分を守るため教室で暴力を振るうというエピソードがドラマを大きく動かしていく。教室の中の日本兵、という言い方は衝撃的だった。彼の行為は被害妄想に過ぎないのかもしれない。しかし、彼をそこまで追い詰めたものは何なのか。それがこの芝居のテーマである。このシーンから芝居は一気にクライマックスに向かってうねりを上げていく。
日本と北朝鮮(大きい意味での朝鮮)という関係性を核にして、世界の中の日本、そして9条の意味、そこから今、この世の中で何が必要なのか、を問う。平和とは何か。国家とはどうあるべきか。そんな様々な問題にまで広がっていくのだ。
この超大作は単純なメッセージ芝居ではない。よくわからないこと、そして何が正しくて何が誤りであるのかすら見えてこない現状の中で、もがき苦しむ人たちの姿をこれでもか、これでもかと見せていく。
前回このブログにこの作品について書いていくうえで、僕自身どうまとめていいやら、よく分からないまま、勢いだけで書き、まとまりのない文章になったのが、気になっていた。しかし、今もう1度こうして書き始めてもやはりまとまらないし、まだまだ何も書けてない気がする。
但し、在日朝鮮人の姉弟を中心に捉え、彼らがこの国で生きていくことの不安と恐怖をしっかり見据える作業は怠らない。ここだけは絶対外さない。
そして、彼らを囲むこの町の人たち(日本人)という図式のなかでドラマを作る。この国で生まれ、育ち、自分の中には確かに日本人としてのアイデンティティを持つにも関わらず、自分の中には、朝鮮人としての血が流れており、それは否定できない。そのことを誇りに思う。少年は日本人の無言の暴力の中で、自分自身を壊してしまう。彼が、自分を守るため教室で暴力を振るうというエピソードがドラマを大きく動かしていく。教室の中の日本兵、という言い方は衝撃的だった。彼の行為は被害妄想に過ぎないのかもしれない。しかし、彼をそこまで追い詰めたものは何なのか。それがこの芝居のテーマである。このシーンから芝居は一気にクライマックスに向かってうねりを上げていく。
日本と北朝鮮(大きい意味での朝鮮)という関係性を核にして、世界の中の日本、そして9条の意味、そこから今、この世の中で何が必要なのか、を問う。平和とは何か。国家とはどうあるべきか。そんな様々な問題にまで広がっていくのだ。
この超大作は単純なメッセージ芝居ではない。よくわからないこと、そして何が正しくて何が誤りであるのかすら見えてこない現状の中で、もがき苦しむ人たちの姿をこれでもか、これでもかと見せていく。
前回このブログにこの作品について書いていくうえで、僕自身どうまとめていいやら、よく分からないまま、勢いだけで書き、まとまりのない文章になったのが、気になっていた。しかし、今もう1度こうして書き始めてもやはりまとまらないし、まだまだ何も書けてない気がする。