途中休憩をはさんで2時間、それでも弛緩することなく緊張感を持続させる。いや、それどころかその5分の休憩が緩衝材になる。コロナ対策のための喚起休憩が作品の勢いを削ぐことなく、この緊張を和らげることになるのである。これをもし2時間休憩なしで一気に見せたなら観客の方が息切れしてしまうのではないかと思うほど、重くて、キツイ芝居だ。でも、役者たちが実に上手いから、最後までこの張り詰めた緊張は持続する。見事だ。
主人公である高校教師役の池田佳菜子はおどおどした表情で一歩引いた立ち位置から作品を先導していく。冒頭からハイテンションで作品世界を形作り、池田をフォローするのはスクールカウンセラーの肉戸恵美だ。ふたりがコンビで、この作品を作りあげていく。キーマンで虐待を受けている生徒役を関西芸術座からの客演、遊佐彪雅が演じる。この3人を中心にして、11名に及ぶキャストのアンサンブルが素晴らしい。
特筆すべきは、出番こそ少ないが、この作品の要となる前田都貴子。台本には書き込みが少ないし、ほぼワンポイントリリーフの扱いになるが、クライマックスで圧倒的な存在感を見せて、周囲をかき乱す。夜勤明け、家出した息子のために高校に連れてこられ、毒を吐き散らしモンスターぶりを発揮する。このお話の元凶となる母親を演じる。だが、彼女はただの悪役ではない。説明なしで、このお話の核心部分を担い、作品世界を作り上げる。彼女の心の闇は深い。ほんとうなら彼女が主人公であってもいい。
iakuの横山拓也が俳優座に書き下ろしたという台本を、演出のしまよしみちは自家薬籠中のものにして、これだけの完成度で密度の濃い作品に仕立て上げた。演出は役者たちを信じて、委ねた。彼らがそれぞれ自分自身を追い詰めていくことで、これだけの作品に仕上がったのだろう。台本との距離の取り方が絶妙だ。演出はどこかで偏りバランスを崩すこともなく、最後まで客観的にここに描かれる事実を見守る。
そこで描かれるものは、高校を舞台にしたある種の学園もののスタイルの中で、彼らが抱える闇にスポットを当て、それを周囲の大人たち(教師たち)がどう対していくか、である。単純に闇を抱えた生徒とその対応に当たる教師という図式ではなく、芝居は、とんでもない母親を軸にして、両者の対決の趣を呈する。単純な図式にはならない。教師側、当事者の生徒、彼を無意識に追い詰めてしまうその母親というそれぞれの立場がぶつかり合うクライマックスは圧巻だ。
ここで教師への少年の想いが母親との関係の中でどういう意味を持つかという部分が、あと少し描けたならもっと面白い作品になったかもしれない。主人公のひとりである本来ならお話の中心を担う遊佐彪雅が残念ながら心の内面を表現できていないから、核心部分が見えてこないのは残念だ。彼の中の弱さや甘えが事態を引き起こしたのだが、それをどう受け止めるか、教師側の対応も含めて、実に微妙な心理的駆け引きが描かれることになる。台本には説明的な台詞はないから、役者がその間隙を埋めて表現していくしかない。担任教師、生徒、母親という核を担う3人のアンサンブルがこの作品の成否を担うこととなる。生徒役の遊佐くんはよくやっているけど、さすがに荷が重い。
お話の落しどころをどこに持ってくるのか、終盤を見ながらドキドキしていたのだが、ラストは台本が逃げてしまった気がする。(車椅子の女性と男の謎を解明するオチには「そうくるか」と感心はしてけど)母親との対決を避けたのは仕方ないかもしれないとも思うけど。そこもあと一押しが欲しかった。もちろんそれは台本の問題だけど。