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映画・演劇のレビュー

『ダンスの時間18』

2008-01-25 22:20:52 | 演劇
 今年も早速『ダンスの時間』がスタートした。毎回素敵なチョイスで楽しませてくれるこの企画だが、今回にはいつも以上に唖然とさせられた。見終えて思わず「これって一応、ダンスですよね」なんてプロデューサーの上念さんに聞いてしまったくらいだ。

 ほんとに「なんでもあり」だと思う。しかし、その「なんでもあり」があくまでも、まずこれは身体表現であり、それがこんなにも自由度の高いものとして示されているという事実を根底にもつことが大切なのだ。ダンスということが縛りになってしまうのではない。ダンスがあらゆることを可能とする。それでなくては意味がない。この企画はそのことに挑戦する。だから、楽しいのだ。ただの「なんでもあり」なんてつまらない。

 dotsがダンスの時間に参戦する。それが今回一番楽しみだった。彼らがこういう形で他の人たちと共演するのを見るのは初めてのことだ。彼らの表現がダンスというくくりの中ではたして存在するのか、というとかなり微妙な気がする。だから彼らがこの場にいるのは面白い。身体と映像やオブジェが共存する空間を通し見せる彼らの空間造形表現は、パフォーマンスとアートの境界線をボーダレスにする。それがこのロクソドンタという何もないスペースでどう機能するか。

 今回は、当然のこととして『ダンスの時間』なので、仕掛けのあまりないシンプルなステージである。出演は高木貴久恵さんひとり。もちろん彼女が見せるものは一般的なダンスとは一線を画す。いつものようにこの空間全体が彼らの表現だ。ロクソドンタという真っ黒な箱を舞台にして、闇の中に点滅する赤い灯りが、彼女とこの空間を形成していく。彼女自身がひとりの人間としてここに存在するのかも微妙だ。彼女は身に纏った黒いドレスとともにほとんどこの空間に溶け込んで一体化してしまっている。さらには、ラストでこの場所から天上に消えていく。一連の動きが映像や闇と相俟ってとても美しく幻想的な世界を作る。

 続く尾沢奈津子さんの『LEAVE』はその独自な表現が笑いと驚きを与えてくれる。壁にぶつかった場面で明かりが入り、それまでのタッチから全く趣を変え、その後もいろんな形でめまぐるしく変貌する彼女の姿を追うだけで楽しい。

 今回の4団体の中にあって、児玉千春さんのほんの短いダンスは一服の清涼剤のようで素敵だった。リノリウムの床の上でキュッキュッと音を立てて踊る彼女の滑らかで美しい動きに魅せられる。

 そして、最後はサイトウマコトさんと辻裕加さんによるコントすれすれのパフォーマンス。向かい合った2人が生の玉ねぎにかぶりつく。あたりを散々散らかした後、齧りかけの玉ねぎ2つを圧力鍋に入れる。水と玉ねぎを入れたままコンロに火をつける。半透明のベールの向こうとこちらで踊る。若き日の井上陽水の歌に乗って、最後に二人がひしと抱き合うまでが描かれる。コミカルなだけでは当然ない。この単純な動きが観客に様々なことを想起させる。

 これはダンスという既成概念への挑戦ではない。そんなおこがましい事ではなく、ただ単純に身体表現としてのダンスが様々な形で進化していくことを面白いと思う。奇を衒うのではなく、オーソドックスですらある。なのに大胆だ。そんなささやかな冒険がここにはある。

 

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