明確なストーリーのあるドラカンなんて想像もつかない。でも、そんな芝居に初めて筒井さんが挑戦した。芝居の中に話があり、意味すらある、そんなドラカンと対面する。
無意味としか言いようのないものに持てる情熱の限りを注ぎ、そこから奇跡のような作品を作り続けるのがドラカンの本来のあるべき姿なのだが、今回はそんな彼らがストレートプレイに挑む。彼らのくだらなさと背中合わせのパフォーマンスが感動的なのは、それがふざけた行為ではなく、本気であるところに問題(!)がある。本気、というのは、なんだか理屈をこね回して人を煙に巻くのではなく、自分たちの実験的な試みと真面目にむきあいそこに意義とか、理由なんかをこじつけることなく、ただ、純粋にそれを試みるところにある。
将棋と死刑囚。隣同士、牢獄の2人。選挙違反で捕まった男、宗田(筒井潤)は、ここで死刑を待つ鳥居(神藤恭平)と出会う。宗田は、鳥居と詰め将棋をするように看守(村井裕希)に強要される。お互いに顔も知らない同士が、本来なら話をすることもできないはずなのに、看守に頼まれ、しかも、自分は将棋を知らないまま、対局をする。だが、別に問題はなかった。鳥居は一方的に自分一人で相手の手まで考えて示すのだ。ということは、ひとりで将棋を」しているだけではないか。相手なんか本来必要はない。だが、彼はそこに相手の存在を求める。独房の中にいて、面と向き合うこともかなわない2人が、声だけを頼りに将棋を指す。このなんとも不条理な話がメーンとなり、精神科医(穴見圭司)との会話や、鳥居自身の内面の独白も含めて、描かれていく。
本筋から逸脱していこうとするような、エピソードもあるが、中心になるお話から逸れることはない。鳥居は自分とむきあいながらも、誰かとのつながりを失いたくない。だから、宗田との壁を隔てた将棋を大切にする。終盤、全くの素人だった宗田が自分の手を相手に示すことで、鳥居をパニックに陥れる。
だが、こういうストーリー自体が、大切なのではない。ストーリーラインを使用して芝居を作ること自体が今回のテーマだった。(はず) このストーリーで何かを語るとか、あまり関係ない。(はず) 筒井さんが興味のおもむくまま、展開していくこのストーリーの周辺の方が本来のドラカンなのだが、でも、この本題である話も充分におもしろい。
無意味としか言いようのないものに持てる情熱の限りを注ぎ、そこから奇跡のような作品を作り続けるのがドラカンの本来のあるべき姿なのだが、今回はそんな彼らがストレートプレイに挑む。彼らのくだらなさと背中合わせのパフォーマンスが感動的なのは、それがふざけた行為ではなく、本気であるところに問題(!)がある。本気、というのは、なんだか理屈をこね回して人を煙に巻くのではなく、自分たちの実験的な試みと真面目にむきあいそこに意義とか、理由なんかをこじつけることなく、ただ、純粋にそれを試みるところにある。
将棋と死刑囚。隣同士、牢獄の2人。選挙違反で捕まった男、宗田(筒井潤)は、ここで死刑を待つ鳥居(神藤恭平)と出会う。宗田は、鳥居と詰め将棋をするように看守(村井裕希)に強要される。お互いに顔も知らない同士が、本来なら話をすることもできないはずなのに、看守に頼まれ、しかも、自分は将棋を知らないまま、対局をする。だが、別に問題はなかった。鳥居は一方的に自分一人で相手の手まで考えて示すのだ。ということは、ひとりで将棋を」しているだけではないか。相手なんか本来必要はない。だが、彼はそこに相手の存在を求める。独房の中にいて、面と向き合うこともかなわない2人が、声だけを頼りに将棋を指す。このなんとも不条理な話がメーンとなり、精神科医(穴見圭司)との会話や、鳥居自身の内面の独白も含めて、描かれていく。
本筋から逸脱していこうとするような、エピソードもあるが、中心になるお話から逸れることはない。鳥居は自分とむきあいながらも、誰かとのつながりを失いたくない。だから、宗田との壁を隔てた将棋を大切にする。終盤、全くの素人だった宗田が自分の手を相手に示すことで、鳥居をパニックに陥れる。
だが、こういうストーリー自体が、大切なのではない。ストーリーラインを使用して芝居を作ること自体が今回のテーマだった。(はず) このストーリーで何かを語るとか、あまり関係ない。(はず) 筒井さんが興味のおもむくまま、展開していくこのストーリーの周辺の方が本来のドラカンなのだが、でも、この本題である話も充分におもしろい。