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こんなにも気持ちの悪い芝居はない。よくわからないまま、なんでこうなるのかと思いつつ、わからないけど支配されている。そこには悪意はない。でも、善意とは言い切れない。ここには逃れたいのに逃れられないし、いつのまにかこの疑似家族に絡め取られていく。逃れようと思えば、いつでも逃げられる。強制されているわけではない。ここに居たい。だってここは私の家であり、彼らは家族なのだから。彼らは本当の家族よりも自分のことをわかってくれる。でも、この嫌な気分は何なのだろうか。まるで彼らの中に観客である自分までもが取り込まれていく。
知らない間にマインドコントロールされていく。「おかあちゃん」に支配され、彼女に共感しながら、自分をなくしていく。彼女に支配されているとは、自分では思わない。彼女を慕って彼女に愛されたいと思う。愛している。ここは、私の家族である。「あなたたちを、」と彼女は言うけど、そこには嘘はない。騙そうというのではない。善意から、愛からの行為。与えること、与えられることの関係の中で、信頼が生まれる。
愛が欲しかったのか。暴力も含めて、愛の範疇だと言い切ってしまう。この異常な状況を疑わない。取り込まれていく。客観的に考えるとあり得ない。でも、そんなありえないことを信頼してしまう。
言葉による暴力。実際の暴力。それが愛だと思う。淀んだ水の中に染まっていき、やがて死に至る。こんなにも気分が悪くなる芝居はない。だけど、この芝居から逃れられない。