近年は企画ものが続いたので、これは久々の棚瀬さんらしいプライベート作品。やはり、こういうのを見るとほっとする。野心的で挑戦的な作品もいいのだが、こういう自分の世界で閉じたような作品を描かせると棚瀬さんは実に生き生きしている。自傷的で、ネガティブ。そこまで追い詰めなくてもいいのに、と思わせるほど、痛ましい。そんな棚瀬作品を見ることで、僕たちは改めて自分とは何なのだろうか、と考えさせられることとなる。極端をするのではない。どこにでもある普通を普通のままするのだ。だが、普段、そこからも僕たちは目を逸らしている。いや、あえてそこから目を逸らして、気付かないふりして生きている。だから、痛い。
今回は2組のカップルのお話だ。実にシンプルなお話。「どこにでもある日常を、どこにでもある技法で作品に」した。と、いうことだ。だけど、それがとんでもなく怖い。単純ではない。諦め、をテーマに据えた。こんなにもストレートに描く。
まだ生まれて間がない幼い子供を抱える女。育児に疲れている。本人には自覚はない。普通に家事をして、普通に赤ちゃんを育てる。夫は優しい。でも、彼女の心は壊れていく。単純に「育児ノイローゼ」だ、と判断されては心外だ。別に病んでなんかいない。至って冷静だ。だが、その冷静さが怖い。彼女の中でどこかが壊れていく。夫はそれを見て見ぬふりしている。避けている。自分まで、病が移る気がする。だから、仕事が終わってもなかなか家に帰れない。こんなふうに書いていくと、よくあるお話にしかならない。だが、それを棚瀬さんはある種の歪さで描くから、落ち着かない。ちょっとしたホラーの趣すら呈する。出口弥生がすばらしい。彼女の醒めた表情を夫(川末敦)は直視できない。30代の後半で出産して、40代に突入する。そんな微妙な年齢に拘る。ことさら、それがどうとかいうわけではない。だが、彼女の中で、何かが変わってくる。
夫の浮気が描かれる。そうなると、ますます、いかにも、な、お話になる。やっぱりね、と。だが、この作品はそんな安易な落とし所を用意しない。彼の言い分も描かれる。だが、そんなことに彼女は耳を傾けない。
同時進行でもう1組のカップルが描かれる。30代後半の男(37歳)と、その若い恋人。(28歳)そんな年齢になってもまだアルバイトしながら、暮らしている。だから、結婚には踏み切れないのか。もちろん、子供はいない。
2組のカップルを対比させるのではない。お話は途中から彼らを微妙に絡ませていくのだが、それすら、現実かどうか、わからない。向こうの立派なマンションと、こちらの簡素なハイツ。向こうから見たこちら。こちらから見たむこう。夫の浮気相手が、その若い女で、妻がその同世代の男と不倫している。そんな雰囲気すら匂わせる。もしそれが本当なら、ありえないような設定になる。もちろん、そんなこと、どうでもいい。そんな三面記事的な事実関係ではなく、見えない相手の自分が知らない時間や、気持ち。それがそこには投影される。現実と妄想が混在し、それがこのドラマを貫く。
実に淡々と、彼らの日常が綴られていく。感情の起伏は見せない。秘められたもの、隠されたままのもの。それをドキドキしながら想像する。お互いが信じられなくなる。なのに、関係は壊れない。それは子供がいるから、とかいうようなお決まりの言い草ではない。これまでに築き上げてきたものがある、からではない。諦めの先にある希望。そんな微かな光の射す未来へ向けて、お話は終息していく。