近年こんなにも硬派の芝居を見たことがない。だから驚いた。作り手の本気が熱い。もちろん気持ちだけではなく、がっちり作られた芝居である。正攻法で攻めてくる。2時間半の大作で、容赦ない。重い芝居だ。1本調子で、途中、少し中だるみするところも確かにある。しかし、最初から最後までギリギリのところで緊張感が持続する。
終盤、公園の遊具の話からラストまでは圧巻である、この話が遠い昔の遠い場所の話ではなく、自分たちの問題として一気に近付く瞬間の緊張感は半端ではない。普遍的なお話としてではなく、身近に迫る危機感として、伝わる。自分の身は自分で守らなくてはならない。危険は避けるのではなく、危険だと理解して向き合うべきなのだ。
お金が人を狂わせていくこと。政府との攻防。我々は国家の政策の前では為す術もないのか。それでもNOと言い続けること。無力だからといって、諦めてしまうこと。何を成すべきなのか。自分のことしか考えないのか。正しいことが正しいこととしてまかり通らないこと。社会的弱者は、怒りに対して怒りで立ち向かうのではなく、諦めないこと、正しいことを貫くこと、それしかないのではないか。この村の問題は僕たちみんなの問題で、国の理不尽に対して断固として立ち向かうこと。そんなこんなのさまざまな問題が怒濤のように押し寄せる。ここからさまざまな問題が噴出することになる。それまでは、客観的に(遠いお話として)この芝居を見てきた自分たちが、いきなりこのドラマの坩堝の中にたたき込まれることになる。すべてが今の自分たちの問題となり観客ではなく、当事者になる。
ふたつの時代を交互に描くことで、過去と現在、ふたつの家族のお話が渾然一体となる。ゆっくりと、丁寧に順序立てて、なぜこんなことになったのかが語られる。ダムの底に沈むことになった村での、反対派推進派の対立ではなく、立場を同じくしてきたはずのふたりの女性が真っ向から対立していくドラマを核にして、和解に至るドラマはただのハッピーエンドではない。渾身の力作である。