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映画・演劇のレビュー

犯罪友の会『ラジオのように』

2013-03-07 21:40:26 | 演劇
 僕にとっては本当に久々の犯罪友の会だ。最近は野外公演もご無沙汰しているし、この時期の新人公演もあまり見ていない。武田さんの優しい世界に浸るのはとても心地よいのだが、ある種ぬるま湯のような気もして、足が遠のいた。でも、今回はとても見たいと思った。まず、あのチラシに心魅かれたのだ。そして、今回はとうとう昭和を舞台にする。時代劇をずっとやってきた犯友が、昭和30年代終わりの大阪下町の風景を描く、と知ってそれは絶対に見逃せないと思った。

 武田さんの自伝的作品になるのではないか、と期待したのだ。何をしてもそれは武田さんの心象風景であることは違いないのだろうけど、でも自分が実際に見た風景を芝居にするのと、想像の世界とは違う。いつものけれんが影を潜めて、優しく懐かしい風景がそこには広がるのではないか、と期待した。今まで見たことのない武田ワールドがそこにはきっとあるはずだ。そんな新しい犯友の世界が展開していくことを楽しみにして劇場に向かう。

 だが、開始と同時にその期待は砕かれる。まるでいつもと同じなのだ。舞台の作り方も芝居の展開も。

 漫画家を目指す高校生の女の子が主人公だ。彼女が姉をモデルにした漫画を描いている。彼女の独白からスタートして、彼女の語る姉が舞台に登場して彼女(姉)のお話がスタートする。この2重構造は武田さんの独壇場だ。ただいつもと違うのは2人の主人公がまだ若く何者でもない、ということだろう。今までなら写楽であろうと、誰であろうと、もっと大人が主人公で、彼らが今まで生きてきた歴史がベースとなっていた。でも、今回は違う。彼女たちはまだ若く何も為してはいない。未来はこれから広がる。この芝居の主人公たちは、ここから自分の人生を作り上げていく。それはラストに到っても同じである。そこでも、まだ、彼女たちは何もしていない。ここから始まる。

 武田さんが今回目指した芝居はそこに意義がある。まっさらな未来への第一歩として、今回の作品は意味を持つ。だから、ここには何もない。潔いくらいに白紙なのだ。女優を目指して東京へ出る。さらにはハリウッドに行く。そんな夢が描かれる。挫折はある。現実は夢とは違うことを知る。だが、それでもまだ、何も始まっていない、としか言いようがない。そんな気分が描かれる。

 武田さんがこんな爽やかな青春ものを作る。でも、少しも意外ではない。これは今までの彼の作品の流れから少しも外れることのない作品だ。そういう意味では、物足りない。新しい犯友を期待した向きには、いささかがっかりだ。でも、変わらない犯友を確認できる。武田さんは少しも器用ではない。だが、そこが彼の魅力なのだ、と思う。とてもシャイな人だから、自伝的な芝居なんか作れない。ただこの初々しさは今までになかったかもしれない。戦後が終わった時代を舞台にして、未来に向かう少女たちのお話をこんなのもストレートに見せた。それだけでも感動的だ。

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