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映画・演劇のレビュー

『11・25 自決の日』

2013-03-07 19:25:59 | 映画
サブタイトルには「三島由紀夫と若者たち」とある。描くものはただひとつ。三島の割腹自殺に到るドラマだ。ここまでわかりやすいタイトルをつけるところが若松孝二監督らしい。言わずと知れた傑作『連合赤軍 浅間山荘への道』の姉妹編である。あの映画だけでは片手落ちだから、ちゃんとこの映画も作った。二本をセットにして、あの時代の気分を今に伝える。三時間強の大作である渾身の力作『連合赤軍』と比較するとこの映画はスケールでも、内容でも劣る。だが、これをちゃんと作らなくては死んでも死にきれなかったことは事実だ。だから、ちゃんと作れてよかった。

三島が東大で学生たちとやりあうシーンがクライマックスだ。勇気ある行為だと思う。たったひとりで敵のアジトに乗り込み、たくさんの学生たちに取り囲まれ、吊るしあげを食らう。もう帰れないかもしれない。でも毅然として彼らと向き合う。その姿が感動的だ。

それに比べてラストの割腹自殺はただのおとしまえでしかない。仕方なく、にしか見えない。しかも、あれだけ彼が支持してきた自衛隊にも裏切られて、行き場もないままの自決である。犬死でしかない。若松監督はそんな三島に対して同情しているようだ。

 映画は三島という男をとても詰まらない男としてしか描けない。それは若松監督が三島を否定的に捉えるからではない。それどころか、彼は先にも書いたが三島に同情している。共感とまでは言えないところが辛いのだが、少なくとも反感を抱くのではない。彼が目指したものは、この国の独立と、自立だ。それを自衛隊という軍隊が成し遂げると信じた。だが、ただの公務員でしかない自衛隊にそんなことは出来るはずもない。

 では、盾の会なら可能か、というと、それもまた心許ない。だから、三島は自分が道化でしかないことに、とうの昔に気付いていたはずなのだ。だが、純真な若者たちと共に過ごす中で、三島は彼らを裏切れなくなる。せめて、彼らの志だけでも尊いものとして、なんとかしたいと思う。割腹自殺の意味はそれだけのことでしかない。これはそんなふうに思える映画なのだ。でも、そんなのでいいのか? よくわからない。

ただ、正直言うと映画としてこれは、あまり意味のあるものには見えない。『連合赤軍』を作った以上こういう捕捉はいらない。





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