実話の映画化である。自分のためにではなく、人のために誠心誠意生きる男の話だ。残された命を何のために捧げるかは本人の意志による。彼の選択は周囲からは理解されないことだろう。「バカか!」と言われてもしょうがないようなことだ。だが、どうしても彼は子供たちのために音楽スタジオを作ってあげたかった。彼らの夢を支援したかった。彼らを支えてあげたかったのだ。ガンに蝕まれた弁当屋のオヤジが、自宅に音楽スタジオを作り、お金も場所もない高校生たちに無償で貸し出す。美談である。
だが、映画を見ながら、全く心弾まなかった。なんかすべてが上滑りしていて、嘘くさいのだ。同じように単純な『下町ロケット』にはあんなに感動できたのに、この感動の実話にはできない。そして、見ている間ずっと感じたこの寒々とした気分は何だろうか。こんなにもいい話のはずなのに、退屈だった。
まぁ、理由は簡単なことなのだ。要するに、ここには「リアル」がないのだ。すべてがきれいごとにしか見えない。実話をベースにした話だから、リアルなのではない。作り手の匙加減一つでいかようにもなるのが映画だ。真面目で一生懸命作っているのはわかる。だが、それだけではダメだ。阿部寛は減量して役になりきる熱演なのだが、肝心のドラマ作りのほうが、それについていけていない。話にリアリティーが生じないから、映画はどんどん空回りしていく。これではなんとももったいない。
彼が特別に4人の高校生だけに肩入れしていくわがままを、もっときちんと描かなくては話自体が嘘になるのだ。彼の行為は「えこひいき」である。でも、そのわがまま振りをちゃんとみせることで、この男の生き様が明確になる。生きることはただのきれいごとなんかじゃない。彼の拘りは、時には滑稽にしか見えない。それでもいい。というか、その方がいいのだ。映画の中の彼があまりに聖人君子で、人間らしさがないのが問題なのだ。
だが、映画を見ながら、全く心弾まなかった。なんかすべてが上滑りしていて、嘘くさいのだ。同じように単純な『下町ロケット』にはあんなに感動できたのに、この感動の実話にはできない。そして、見ている間ずっと感じたこの寒々とした気分は何だろうか。こんなにもいい話のはずなのに、退屈だった。
まぁ、理由は簡単なことなのだ。要するに、ここには「リアル」がないのだ。すべてがきれいごとにしか見えない。実話をベースにした話だから、リアルなのではない。作り手の匙加減一つでいかようにもなるのが映画だ。真面目で一生懸命作っているのはわかる。だが、それだけではダメだ。阿部寛は減量して役になりきる熱演なのだが、肝心のドラマ作りのほうが、それについていけていない。話にリアリティーが生じないから、映画はどんどん空回りしていく。これではなんとももったいない。
彼が特別に4人の高校生だけに肩入れしていくわがままを、もっときちんと描かなくては話自体が嘘になるのだ。彼の行為は「えこひいき」である。でも、そのわがまま振りをちゃんとみせることで、この男の生き様が明確になる。生きることはただのきれいごとなんかじゃない。彼の拘りは、時には滑稽にしか見えない。それでもいい。というか、その方がいいのだ。映画の中の彼があまりに聖人君子で、人間らしさがないのが問題なのだ。