ヴァント/北ドイツ放送響「ブルックナー交響曲第4番」


 家でクラシック音楽を聴いていて、妻から「お願いだからボリュームを下げてくれない」と注意されるのが、ブルックナーです。関心のない人にとっては、金管が練習しているだけのうるさい音楽にしか聞こえないのだと思います。ごもっともです。私もうるさくて仕方ないと思えることがあります。

 クラシック音楽の森に奥深く入っていって最後に見つける巨木の一つがブルックナーの交響曲第8番なんだと思います。オーケストラで語り継がれる伝説の演奏会というと何故かブルックナーの第8番です。私も多くのディスクを聴いてきました。フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ヨッフム、カラヤン、ジュリーニ、ハイティンク、チェリビダッケ、ブーレーズなど。この曲を名曲だと思っていた時期もあったと思います。しかし、この宇宙的なスケールの曲(?)は私には難解です。どうも良さが分かりません。ただ、いつの日かこの曲を好きになる日が来るんだと思います。コレクションはその時の楽しみです。

 ブルックナーで好んで聴くのは交響曲第4番と第7番です。ブルックナーファンの方にしてみるとメロディアスだけど第8番、第9番と比較すると深みに欠けるのかもしれません。しかし、第4番、第7番で聴けるなだらかで大きなカーブは他の作曲家の音楽からは聞けないものでとても魅力的です。牧歌的な音楽、大きな自然を感じさせる音楽です。

 数ある名盤の中でもお気に入りがヴァント指揮、北ドイツ放送響による交響曲第4番です。ヴァントが死ぬ前年2001年のハンブルクにおけるライブ「ザ・ラスト・レコーディング」というディスクに収められている演奏です。
 ヴァントはご存知のとおり1996年のベルリンフィルとのブルックナー第5番で再評価されました。84歳で世界の桧舞台に登場するというのは人生の不思議さ、人間の偉大さを感じさせてくれます。
 その後発売されたベルリンフィルとの第4番~第9番はどれも凄まじい演奏でした。続きを待ち遠しく感じたものですが、今となっては緻密すぎて聞いていて息が詰まるようです。よい演奏であることは分かるのですが愛聴盤になりません。

 その点、手兵である北ドイツ放送響との演奏は死を前に達観した音楽というのでしょうか、力が抜けてゆったりと大きく呼吸している演奏です。ホルン、トロンボーンなどの金管が全くうるさくなくて優しく響きます。ブルックナーはこうじゃなきゃなあと思います。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カラヤン/キャスリーン・バトル「ニューイヤーコンサート1987」


 残暑お見舞い申し上げます。お盆休みの田舎の風景写真などを息抜きにアップしたいところですが、事情によりデジカメが貸し出し中なので見送りです。

 大好きなキャスリーン・バトルです。手許にあるキャスリーン・バトルの歌曲CDの録音年次をみると「ザルツブルクリサイタル」が1984年8月、「グレイス」が1995年11月なので、この10年間に一番活躍したんだと思います。
 最近も来日しているようなのでおそらくまだ現役なのでしょうが、表舞台からはすっかり姿を消してしまいました。透明感があって表現力も豊かで、なんといってもチャーミングな歌声を聞かせてくれました。オペラなどでKathleen Battleのクレジットがあるとそれだけで聴いてみたくなったものです。

 それが見かけによらずとんでもない我がままだったらしく所属していたメトロポリタン歌劇場から解雇されてしまいました。読んだところでは、オペラ公演でどんな役だろうと、終演後のカーテンコールで最後の登場を要求したんだそうです。確かにキャスリーン・バトルは上手くて人気もありましたが、それでも準主役級(キャサリーン・バトルはリリック・ソプラノなので小娘、召使などのコミカルな役が多い)が主役よりも後に出るなんてことはありません。温厚なジェームズ・レヴァインですら我慢できなかったのであれば仕方ありません。
 その後、どうなるのかと思っていたら、結局、もう有名歌劇場でのオペラには登場しなくなりました。ソロリサイタルとたまの録音生活です。大バカ者です。才能の無駄遣いに悲しくなります。

 そんな身の程知らずのキャスリーン・バトルですがその魅力には抗し難いものがあります。同世代に活躍した歌手でこれだけうっとりさせる歌唱を聞かせてくれる女性歌手はいませんでした。
 もうじき子供が生まれるのでどんな曲が子守唄にいいんだろうと考えていました。歌謡曲では夏川りみの「童神(わらびがみ)」ですが、クラシック音楽ではなんだろうかと考えるとキャスリーン・バトルが歌う「シューベルト 夜と夢」に思い当たりました。ジェームズ・レヴァインが伴奏するシューベルト歌曲集に入っている1曲ですが、こんなに優しい音楽、歌はそうありません。柔らかい絹の肌触りのような音楽。最弱音の透明感、消え入るような音にも想いが溢れるようにこもっている。レヴァインのピアノも素晴らしいです。キャスリーン・バトルはソロだとレヴァイン伴奏のディスクがなんといってもいいです。

 このシューベルト歌曲集を取り上げるつもりで聴き直してみたのですが、ディスク全体としては若干マイナーな曲が多く、自分でもこれまで夜と夢以外はあまり聴いてこなかったことに気付きました。
 そこで、キャスリーン・バトルのディスクをいろいろと聴き直してみました。感動的な黒人霊歌が入っているコンサートのディスクも捨て難いのですが、辿り着いたのはカラヤン/ウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート1987」です。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートとしては初めてソリストで登場して「春の声」を歌ったものです。NHKのテレビで見ていて、真っ赤なドレスを着た黒人女性が現れた時にドキドキしたのを覚えています。春の声は聴いたことはありましたが、歌付の曲とはこの時初めて知りました。弦やオーボエやフルートの音よりも人間の声のほうが魅力的であることを知ったのもこの演奏ではなかったかと思います。
 春の声に限らず、コンサート全体もカラヤンによるスケールが大きく絶妙のテンポのゆったりとした音楽です。当時はご多分に漏れず、クライバー=天才、カラヤン=録音技師と教科書で教わっていて賛同していたのですが、カラヤンのほうがいいなんてこともあるんだと感じたのを思い出します。

 クラシック音楽関係で今でも後悔していることが一つあります。1989年2月に真冬のニューヨークにいて、カーネギーホールでカラヤン指揮ウィーンフィルによるシューベルト未完成交響曲とウィンナワルツを演奏するコンサートが行われました。チケットはもちろん売り切れていましたが、当日劇場に行くとダフ屋がいて声をかけてきました。記憶が定かではないのですが、5万円か10万円くらいの値段だったと思います。学生にはとんでもない値段でしたが何故か出せる財布状態にあったことは覚えています。ただ、雰囲気に圧されて止めました。あまりにも場違いだと感じたからです。勇気を奮ってチケットを購入していれば・・・カラヤンとウィーンフィルのウィンナワルツを生で聴けた一生一度のチャンスだったんだと思いますが仕方ありません。

 キャスリーン・バトルを取り上げたのですが、またまたカラヤンの話しになってしまいました。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )