「赤崎産生牡蠣に日本酒って良く合うんだけど、別にいいんだけど」
別にいいんだけどというのは、別に良くないのである。
ストレスがたまると人はこういう云い方をする。
「だから、この赤崎産生牡蠣と日本酒を合わせるとやたらに旨いんだって」だからに力が入るとかなり感情的である。
「三陸の牡蠣は美味しくて、なんだろ、広田湾はとくに美味しくて、なんだろ、赤崎は広田湾の中にあって、なんだろ、赤崎産はすごく美味しくって、なんだろ日本酒を合わせると最高で」やたらなんだろを付けるのは、話に慣れてなかったり自信がなかったりする子供っぽさだろう。
「つまり、赤崎産生牡蠣は美味しくて、つまり、日本酒を合わせると特に美味しくて、つまり、赤崎産牡蠣に日本酒を合わせると最強で」話ベタな人もやたらにつまりと云う。
「しかしですね、この赤崎産生牡蠣に日本酒の組み合わせは特別に美味しいわけで、試してみないと損しちゃいますよ」強引に話に割り込むときは、しかしと云って割り込むことが多い。
「しょせんはね、この赤崎産生牡蠣に日本酒を合わせるとその美味しさは誰でも解るけど、牡蠣の旨味と日本酒の旨味がお互いを引き立てるんだけど、いちおうどうして美味しいか云っておこうかなみたいな」いつも話に逃げ道を作る言い回しだ。
話し方のクセで相手の心理状態が解るものである。
「だから、つまり、しかし、何だろう、今日のクアトロの赤崎産生牡蠣と日本酒はしょせん美味しい組み合わせな訳で、試してみたらどうだろ、別にいいんだけど」