りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

早すぎる黄昏。

2009-12-04 | Weblog
それは、一昨日の早朝、僕の携帯に着信したメールからはじまった。

僕は会社に着いたばかりだった。
デスクに座るなり、携帯を開いた。
送り主は、幼なじみのMだった。
Mは今も僕の実家の近所に住んでいる。
「S(僕らの後輩)の弟が亡くなったらしい。あいつの弟って、
たしかお前の弟と同級生じゃなかったっけ?」
僕はメールの文面を読んで、すぐにそのメールを弟に転送した。

その後、しばらくの間、Mと僕と弟の間でメールのやりとりがあった。
次第に、亡くなったSの弟についての詳細が分かって来た。
死因は癌だったこと。
広島市内に住んでいたこと。
そして、結婚していたこと・・・。
弟から何通目かのメールが届いた。
「どこの葬儀場か、分からないかな?」
僕は弟のそのメールをMに転送して尋ねた。
返って来たMのメールには、「分からない」と書いてあった。
それを最後に、弟からのメールは途絶えた。
そして、僕もいつものようにその日の仕事に戻った。

その夜。
弟から電話があった。
「今日はありがとう」と弟。
「いや、俺はメールを中継いだだけだから」と僕。
「兄貴、俺、あれからなぁ・・・」と弟が滔々と話しはじめた。

あれから・・・つまり、葬儀場の場所が分からないと知った後、
弟は広島市内中の葬儀場に片っ端から電話したそうだ。
しかし、どの葬儀場に確認しても、Sの弟の名前での葬儀は予定
されてなかった。
そのうち弟は、少しずつ疑いはじめた。
“本当はSの弟は、死んでなんかいなんじゃないか?”
“これは、兄貴たちの悪い冗談なんじゃないか?”と・・・。
そう思いながらも、弟は思案した。
そして、あることを思いついた。
斎場、つまり、火葬場に今度は電話をしたのだ。
それなら葬儀場より数は少ないし、確実に場所が分かるはずだ。
弟は、広島市内の数カ所の斎場に連絡した。
しかし、どこの斎場にも友達の名前での予約は入ってなかった。
残りの斎場は、たったひとつだけ。
広島市の西の端にある斎場だった。
電話をした。友達の名前を告げた。

その名前で、予約が入っていた。

弟は、葬儀場の場所を教えてもらい、電話を切るとすぐに上司に
理由を告げ、会社を抜け出して、葬儀場に向かった。
場所は広島市の西隣りの町、廿日市市の葬祭会館だった。
弟が着いた時は、まだ葬儀の前だった。
弔問客は、まだいなかった。
弟は、半信半疑で会場に入った。
しかし、その気持ちはロビーで吹き飛んだ。
ロビーの掲示板に、友達の名前を見つけたのだ。

友達は、本当に亡くなっていた。

葬儀会場に入った。
弟は、作業服だった。
喪服ばかりの中で、淡いグリーンの作業服姿はさすがに目立つ。
弟の姿はすぐに遺族の目に止まった。
「Hくん?・・・Hくんでしょ?Hくんよね!?」
弟に駆け寄って来る初老の女性がいた。友達の母親だった。
その声に40歳前後の男が近寄ってきた。それは僕の後輩、つまり
亡くなった友達の兄のSだった。
「お前、来てくれたのか?ありがとう・・・でも、どうして知ったんだ?」
弟は、Mや僕からメールが届いたこと、自分で葬儀場や斎場に
片っ端から連絡したことをSやSの母親に話したそうだ。
弟は、作業服姿で香典も何も持たずに訪れたことをSの母親とSに詫び、
その代わりのようにSの母親とSから、数え切れないほど“ありがとう”
の言葉を涙ながらに言われ続けた・・・。

ここまで話して、弟はため息をついた。
声が少ししゃがれている。
きっと、それは電話で一気に喋り過ぎたのだけが理由ではないだろう。
そのしゃがれた声が、今日一日の彼の疲れ具合を示しているような
気がした。

僕は当初から疑問に思っていたことを尋ねた。
「ところで、お前・・・彼とはそんなに仲が良かったのか?」
僕は弟の友達は、だいたい知っている。
嬉しいことに、みんな僕のことを本当の兄のように“兄貴、兄貴”と
慕ってくれている。
しかし、彼・・・Sの弟については、僕はまったくと言っていいほど
知らなかった。
「喧嘩、したんだよ」
弟は、受話器の向こうでそう言った。

弟と友達は、小・中を通して親友だったそうだ。
しかし15歳の時、中学卒業の間際、それまでに経験したことがない
ほどの大喧嘩をその友達としてしまったという。
それ以来、完全な絶交状態だったそうだ。
しかし15歳の子どもの喧嘩である。当然だが、喧嘩の理由は取るに
足りないものだったそうだ。しかし、二人は仲直りしなかった。
仲直りしないまま、別々の高校に進学し、卒業し、社会に出て、大人
になり、家庭を持ち、そして今日に至った。

その間に、その友達も弟と同じように故郷を離れ、広島市内で暮らし
ていると、風の噂で耳にしていたそうだ。
しかし、弟はその友達に連絡しないままだった。
「どこかで、あの喧嘩がひっかかってたのかなぁ・・・」
独り言のように弟は受話器の向こうで呟いた。そして、
「こうなることが分かっていれば・・・」と噛み締めるように言った。
こうなることが分かっていれば?どうした?
「仲直りしてたよ、ゼッタイに」
弟は断言した。
僕は、弟の言葉に相づちを打ちながら言葉を返した。
「でもお前、彼が広島に居たこと知ってたんだろ?それなのに会わな
かったんだろ?こうでもならなきゃ、会わなかっただろ?」
弟は、何も言わなかった。
「強引な解釈かもしれないけど、彼も仲直りしたかったんだよ。でも
お互い大人になって、こうでもならなきゃ会えないから・・・彼は
命がけでお前を呼んだのかも知れんな・・・お前、よく探し当てたよ、
彼も喜んでるよ、きっと」
「でも、兄貴よ・・・」
噛み潰したような口調で弟が呟く。
「俺ら、まだ36歳だぞ・・・何で、死ななきゃいけないんだ!?」
弟は、憤怒していた。
友達に訪れたあまりにも早すぎる人生の黄昏に、憤怒していた。
「受け入れろ」
僕はそう言った。そうとしか言えなかった。弟は何も答えなかった。
僕は続けた。
「受け入れよう。残された人間に出来ることは、それしかない」
「あぁ・・・」
絞り出すように弟が応えた。少し鼻くぐもっていることが、分かる。
「友達が、命を賭けて教えてくれたんだ。後悔するようなことはもう
するなって・・・そう思って生きていくしかない」
「あぁ・・・でも、兄貴」
「あ?」
「もう、俺らもそういう年なのかな」
「そうかもな」
「もう、他人事じゃないんだな」
「そうだな・・・お前も気をつけろ」
「あぁ、兄貴もな」

その後、お互いの健康のことや、禁煙のことや、新型インフルエンザのことや、
家族のことや、帰省のこととか、ありきたりの話をして、「じゃあ、また、
正月に」と言って、僕と弟は電話を切った。

今回の一件は、弟の心に確実にひとつの大きな波紋を生んだ。
弟は、その波紋に何を思ったのだろうか。
しかし、弟は、単に後悔するだけで終わるような男じゃない。
きっと何かを感じ取って、これからまた家庭を持った一人の男として、
しっかり自分の人生を生きていくことだろう。

これからは、こういう別れが年ごとに多くなってゆくはずだ。
最近、よくこう思う。
僕らは、確実に、人生の中にあるひとつの“分水嶺”を越えたのだ、と。
コメント (2)
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