僕は元来、人づきあいが苦手だった。
会話をするのも続けるのも本当に下手くそだし、
そんな人間だから、新たに人と出逢うなんて、
苦痛以外の何物でもなかった。
それがいつの頃からか、変わった。
人と会い、話を交わすことが楽しくて仕方がなくなった。
たまに、考える。
いったい何が原因でこうなったのだろうか?と・・・。
結婚したことだろうか?
親になったことだろうか?
それとも、一時期精神的にダウンした後、快復してからだろうか?
・・・・分からない。
何が分水嶺となって、あれほど人間嫌いの塊だった僕が
人と会うことに抵抗がなくなったのか・・・。
ある日、気づいた。
たぶん、僕は受け入れたのだ、と。
瀬戸内の田舎に暮らし、結婚して家庭を持ち、試行錯誤しながらも
10数年間も広告業界でデザイナーとして働き、休みの日には
子どもたちと近所を散歩し、月に1~2度友達と飲みに行き、
もう少し小遣いを上げてくれないかなぁ?と思いながらもそのことを
妻に言えず、身長が163センチ前後で、髪の毛が少なくなって丸坊主にし、
髭を生やし、そのために逆に“風貌があやしい”とみんなに言われても
それを自分で面白がっている・・・そんな自分を受け入れたのだと思う。
もっと、簡単に言えば、自分の存在に対して、何かしらの
自信を持ったのだろう。
だから、人と会うことに抵抗がなくなったのだと思う。
今年も僕は色んな人に出逢った。
老若男女、公私関係なく、いろんな人と・・・。
“あの人に会いたい”、“誰かに会えるかも知れない”
そういう思いが胸に浮かぶと、たとえそれが数百キロ離れた
場所であっても、小さな車をぶっ飛ばしてそこまで向かった。
遠い場所だけではない。
同じ町に暮らしていて、やっと出逢えた人々もいる。
そして初めて逢った人もいれば、20数年ぶりに再会した人もいる。
出逢ったすべての人に共通することがある。
それは、“出逢えて本当によかった”と、心底思えることだ。
今年も、もうすぐ終わる。
来年がどんな1年になるのか、誰も分からない。
もしかしたら来年の僕は、振り子の原理のように、また昔の人間嫌いに
戻るかもしれない。
でももしそうなるとしても、その1秒前まで、僕は人に逢うために
東奔西走したい。
まだ見ぬ、だけど必ずどこかにいる、まだ僕が出逢っていない
あなたに、僕は逢いたい。
会話をするのも続けるのも本当に下手くそだし、
そんな人間だから、新たに人と出逢うなんて、
苦痛以外の何物でもなかった。
それがいつの頃からか、変わった。
人と会い、話を交わすことが楽しくて仕方がなくなった。
たまに、考える。
いったい何が原因でこうなったのだろうか?と・・・。
結婚したことだろうか?
親になったことだろうか?
それとも、一時期精神的にダウンした後、快復してからだろうか?
・・・・分からない。
何が分水嶺となって、あれほど人間嫌いの塊だった僕が
人と会うことに抵抗がなくなったのか・・・。
ある日、気づいた。
たぶん、僕は受け入れたのだ、と。
瀬戸内の田舎に暮らし、結婚して家庭を持ち、試行錯誤しながらも
10数年間も広告業界でデザイナーとして働き、休みの日には
子どもたちと近所を散歩し、月に1~2度友達と飲みに行き、
もう少し小遣いを上げてくれないかなぁ?と思いながらもそのことを
妻に言えず、身長が163センチ前後で、髪の毛が少なくなって丸坊主にし、
髭を生やし、そのために逆に“風貌があやしい”とみんなに言われても
それを自分で面白がっている・・・そんな自分を受け入れたのだと思う。
もっと、簡単に言えば、自分の存在に対して、何かしらの
自信を持ったのだろう。
だから、人と会うことに抵抗がなくなったのだと思う。
今年も僕は色んな人に出逢った。
老若男女、公私関係なく、いろんな人と・・・。
“あの人に会いたい”、“誰かに会えるかも知れない”
そういう思いが胸に浮かぶと、たとえそれが数百キロ離れた
場所であっても、小さな車をぶっ飛ばしてそこまで向かった。
遠い場所だけではない。
同じ町に暮らしていて、やっと出逢えた人々もいる。
そして初めて逢った人もいれば、20数年ぶりに再会した人もいる。
出逢ったすべての人に共通することがある。
それは、“出逢えて本当によかった”と、心底思えることだ。
今年も、もうすぐ終わる。
来年がどんな1年になるのか、誰も分からない。
もしかしたら来年の僕は、振り子の原理のように、また昔の人間嫌いに
戻るかもしれない。
でももしそうなるとしても、その1秒前まで、僕は人に逢うために
東奔西走したい。
まだ見ぬ、だけど必ずどこかにいる、まだ僕が出逢っていない
あなたに、僕は逢いたい。