りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

カンニング。

2011-03-02 | Weblog
有名大学の受験でのカンニングが大問題になっている。

日本の名だたる大学の受験会場における(大学側からすれば)
想定外の行為だ。
だから、大学も当局も血まなこになって調査している。
おそらく、遅かれ早かれ当事者は突きとめられるだろう。

しかし僕の予想だが、きっと当事者には犯罪意識はなかった
のではないだろうか。

堂々と話す事ではないが、僕だってカンニングはしたことがある。
したことがある、というよりも、そんな行為はしょっちゅうだった。
ただ、僕らが学生の頃は携帯もインターネットもなかったから、
それこそ、机の下で教科書をこっそりめくったり、机の上に英単語を
薄っすら書いておいたり、数学の公式を殴り書きしたメモをポケットに
忍ばせていたり、机の前後の友達とチームを組んで、先生の目を盗んで
お互いの答案をこっそり見せ合ったり・・・まぁ、そんな感じだった。
今思えば、非常にアナログ的だが、当時はそのような道具や手段しか
なかったのだから仕方がない。

しかし、今回の一件は、その延長線上にあるような気がしている。

今、大学を受験をしている若者たちは、ものごころがついた頃から、
すでに携帯電話もインターネットも普及していた。
だから、彼らにとっては携帯もネットも、鉛筆や消しゴムと同じような
“普通の”道具なのだ。

カンニングは、自分の周りのモノをフルに使って行う行為だ。
それはいわば、履き違いはしているものの、明らかに“大人”との
知恵比べの行為だった。

今の“大人”たちにとっては、いまだに携帯もネットも普通の道具ではないのでは
ないだろうか。おそらく“特別な”道具という意識があるのではないだろうか。
大袈裟な表現をすれば、日常と非日常をつなぐ道具と思っているのかもしれない。

そこに、今回の事件の根源的な問題があるような気がする。

つまり、大人と受験生の間で、道具に対しての意識に隔絶的な差があるような
気がするのだ。

受験生は、大人たちの隙を盗んで、カンニングのアイデアの発想に精進する。
自分の周りの道具をフルに活用して。
その中に、日常の道具として携帯やネットがあれば、それを活用しようと思うのは、
ごく自然ななりゆきのような気がする。

今回、ここまで大きな問題になった出来事だが、そういうふうに考えれば、
今年の数校での発覚が初めてではないような気がしてきた。
いや、今回が初めてである方が、逆に不自然だ。

今回が初めてじゃない・・・・これって、何かの印象と似ている。

あ、大相撲の八百長疑惑だ
コメント
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