りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

看板屋。

2011-03-29 | Weblog
写真は、僕が勤める会社の倉庫に保管されてあるサイン。

JR尾道駅に設置されていた尾道市のガイドマップだ。
このガイドマップを作ったのは、今から17年前の今ごろ。
僕は当時、24歳。
会社に中途入社して、まだ1ヶ月そこそこの頃だった。

前の会社ではグラフィックデザイン・・・といっても、
大型量販店のチラシのデザインばかりだったが、そういった
デザインしかやったことがない僕にとって、“看板”の
デザインは、まったくの未知の領域だった。
もっとも、チラシのデザインしかできない・・・といっても、
それさえも、まだまだ実力も実績も根性も自信も何もない、
まったくのチンピラデザイナーだったが。

とにもかくにも、“看板、サイン”といった媒体のデザインも
制作行程も何も知らなかった僕は、いきなり駅に設置する
高さ2mはあるような巨大なガイドマップを制作することになったのだ。

当時は、パソコンでデザインなんて、まだ遠い夢の話だった。
(実際は、その翌年にDTP革命は起こったのだが)

僕は既存の市街地図を片手に、見よう見まねでガイドマップの
ラフデザインを作り、そのデザインを、実際に看板の製作を
依頼していた看板屋に持ち込んだ。

その看板屋は、僕よりもひと回りもふた回りも年上のおじさん2人で
仕事をしている看板屋だった。
当時は、看板屋も当然のように、すべて手作業だった。
埃と塵が漂う作業場に、いくつものペンキの缶が転がり、机の上には、
カッテッィングシートのカラフルな見本が散らばっている。
作業場の隅や、天井に作られたロフトのような物置きには、
使用済みの立看板やいくつかに分割された巨大な看板たちが、
積み重なって放置されている。
壁にぶら下がったラジオからは、昼下がり独特の、口調も音楽も
弛緩した番組が流れている。

そこは、男の仕事場だった。

僕は、黙々と仕事をしていたその看板屋のおじさんに、自分のガイド
マップのラフデザインをおそるおそる見せた。
おじさんは、被っていたキャップのつばに片手に添えて、もう片方の
手で、僕のラフデザインを広げて、しばらくの間しげしげと眺めた。

「いいじゃなんですかね」

どれほどの時間が流れただろう。
おじさんは、笑顔で僕に向かってそう言った。
その笑顔と言葉に、僕は胃から喉まで昇ってきていた得体の知れぬ異物が
一気に滑り落ちたような気持ちになった。

「これを元に作りますよ、ありがとうございます」

おじさんは、ひと回りもふた回りも年下の僕に向かって、丁寧にそう言って
お辞儀をした。もちろん、僕もそれ以上のお辞儀を返した。

それ以降、看板のデザイン制作をその看板屋から教わった。
しかし、学校の教師と生徒のように時間を決めて面と向かって教えて
もらったことは一度もない。

デザインに入る前や、デザインをしている過程で疑問が生じたら、
すぐに電話をしたり、作業場へ向かった。
そしてそこで他愛もない雑談をしたり作業風景を見ているうちに、
僕の抱えていた些細な疑問や不安は、必ずと言っていいほど、知らぬ間に
昇華していった。
そしておじさんは、僕が顔を出すと必ずと言っていいほど、笑顔でこういう
セリフを口にした。

「りきるさんはデザイナーなんだから。好きにデザインすればいいんですよ。
僕らはそれをちゃんとカタチにするから。デザインは、デザイナーのもの」

あれから17年。

四苦八苦、暗中模索、七転八倒しながら手書きと切り貼りでガイドマップの
デザインをしていた僕も、今では数え切れないほどの看板やサインをデザイン
してきた。

そして。

僕に看板のいろはを教えてくれたこの看板屋は、3月末日をもって廃業
することになった。
理由は、いろいろとある。
あえてひと言でいうならば「時代が変わった」、ということになるの
かもしれない。

いろんなことが、本当にいろんなことがあった、2011年3月。
その3月も、あと3日で終わる。

もうすぐ、新しい季節が、訪れる。
コメント
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