りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

マラソン大会。

2011-11-29 | Weblog
僕の子どもたちが通う小学校では、来月マラソン大会がある。

昨日も小6の娘と小2の息子は、体育の時間はマラソンの練習だったそうだ。
マラソンについて僕が2人に尋ねると、途端にいつもより声が低く暗くなり、
そして一丁前に深いため息をつく。
その言動を見る限り、どうやら2人ともマラソンは苦手のようだ。
そんな2人の姿を目にしながら、僕は苦笑いを顔に浮かべる。

今では自分でも信じられないが、僕は中学時代は陸上部で、小学生の時も短距離
走はクラスでもトップクラスの速さだった。

しかし、その反動かどうか分からないが、マラソンは苦手だった。
短距離はトップクラスでも、長距離になると順位でいえば真ん中あたり、下手を
すれば下位争いに参加することもあった。
ちなみに妻に訊くと、彼女も子どもの頃はマラソンが苦手だったそうだ。
もっとも、妻はスポーツ全般が今も昔も苦手なのだが(^_^;)

まぁ、とにもかくにも、うちの子どもたちは、マラソンに関しては親のDNAを
しっかりを受け継いでくれたようなのである。

そんな僕であったが、小学校6年生の時のマラソン大会だけは、今でもハッキリと
覚えている。

それには理由があった。

マラソンのコースは、まずグラウンドを1周し、そこから校外へ出て、ひたすら
海岸に沿った道路を走り、そして1kmほど走った先に防波堤があって、そこが
折り返し地点となっていて、そこでUターンしてまた小学校へ戻る・・・という、
距離にして往復約2km弱程度だった。

これが小学校最後のマラソン・・・ということを意識したのかどうか、今では
よく覚えていない。
しかし、折り返し地点にたどり着いた時、最下位から数えた方が早かった僕は、
なぜかそこから猛ダッシュをしたのだ。
何人抜いたか、分からない。
しかし、“ごぼう抜き”という言葉はあのようなことを言うのだろう、と思う
ほど、僕は先を走る同級生たちを次々と抜いていった。

結果、12位だった。

同級生の男子は30余名だったはずだから、そんなに上位というわけではない。
それでもその順位は、僕にとっては過去最高位だった。

しかし、今でもハッキリと覚えている理由は、それだけではなかったのである。
なぜ僕がこの時のマラソン大会の順位を今でも覚えているのか、その本当の理由
を、これから下に書く。

12月12日、12歳、12番、12分、12位。

日付、年齢、出席番号、タイム、順位、すべて“12”だったのである。
これを知った時、まだ子どもだった僕も、さすがにちょっと背筋が寒くなるモノ
を感じた。
折り返し地点の突然の猛ダッシュといい、この数字の偶然といい、大人になった
今でも、何か神がかったモノを感じざるを得ない。

そんな経験をしたから、それ以降、マラソンが大好きになった・・・と書けば
この日記もキレイに終わるのだろうが、残念ながらそれからもマラソンや駅伝
は苦手なままで、大人になった今では、そんな長距離を走ることはなくなった
が、それでも苦手かどうかと尋ねられれば、やっぱり苦手だ(笑)

子どもたちには、別に高順位になって欲しいとは思っていない。

しんどくなったら歩いてもいい。
最後まで諦めずに、ちゃんとゴールしてくれれば、それでいい。
結局、マラソンの目的というのは、そういうことなのだと、僕は思う。
コメント (2)
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