りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

赤いクルマ。

2011-03-09 | Weblog
昨日、仕事の合間に立ち寄った店の駐車場で、
珍しいクルマと遭遇した↓



一見、古いクルマっぽいが、シルエット的には
新しいクルマのカスタマイズに見えなくもない。



しかし、写真では分かりにくいが、バンパーや
ボディの端ににサビが浮いている。

クルマのエンブレムを探したが、どこにも見当たらなかった。
・・・いったいどこの国の、どこの車だ?

クルマの周囲をしげしげと見回して、ちょっと中を覗いてみた。
センターコンソールに目をやると、思いっきり今風のATレバーだった

どうやら、既存の最近のクルマをレトロ風に改造したか、もしくは
インパネまわりを今風に替えた古いクルマかのどっちかのようだ。

最後にお約束。
愛車との2ショット(笑)↓



やっぱり、Twinの方がいいや
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文学の神様。

2011-03-08 | Weblog
“笑いの神様”と呼ばれる神様がいるように、
小説の世界にも“文学の神様”という神様も
いるんじゃないか?と、思う。

昨日、夜にウォーキングしていて、ふと、
新しい小説のアイデアが思い浮かんだ。

まだプロットまでは出来あがっていないけど、
いきなりタイトルと、その物語のクライマックスに
なりそうなシーンが、頭に浮かんだ。

ものすごい、刺激的なタイトル。
そして、痛快なクライマックス。

山に例えれば、まず頂上が頭に浮かんで、
これから裾野を考える状態。

実は、今まで僕が執筆した小説の大半が、
こういうカタチで最初のアイデアは発芽しているのだ。

まだまだ、上述したコト以外は何も頭にないし、
今はゆっくり思案する余裕はないんだけど・・・(^_^;)

でも、時間が出来たら、このアイデアを元に
1本、書いてみたい。
おそらく、今まで書いたことがないような物語に
なるような気がする。
書き終わったあと、とてつもない快楽と充足感に
襲われること必至(笑)

執筆できるのは、いつ頃だろう?
桜が咲くころかな?

そういえば、今これを書きながらビール(正確には発泡酒)を
飲んでいる。
アサヒの「金麦」。
ハイ、檀れいちゃんでおなじみです
ラベルを見ると、桜と鶯。

いいねぇ~

春よ、来い。
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笑顔。

2011-03-07 | Weblog
朝から昼休み抜きでずーーーーっと働き詰めて、今、少し休憩中。

いやぁ~、忙しいです。
先月からずっと繁忙期で、怒濤のような仕事をこなしているけど、
この年になって、ちょっと気づいた。

人間は、自分のキャパシティを超えると、無意味に笑顔になる(笑)

きっと、感情がコントロールできなくなるんだろうな。
で、その結果、一番無難で周囲に敵愾心を与えない表情に帰結するのかもしれない。

人間は、様々な感情を持つ。
しかし、丸裸にされて完全に無防備の状態になったら、最後に残るのは笑顔なのかも。

これって、意外と重要な意味を内包している事柄かも知れない。

・・・と日記を更新している僕も今、意味もなく、笑顔(笑)
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トモユキ。

2011-03-06 | Weblog
今でこそ、僕は仕事でコピーライターを兼ねたり、プライベートで小説を
執筆したりしているが、昔は、本が大嫌いだった。

中学生の頃なんて、唯一購読していたのは「週刊少年ジャンプ」くらい。
もう少し記憶を掘り起こしても、歴史だけは好きだったので、家にあった
百科事典の「日本の歴史」と「世界の歴史」くらいだ。
しかし、それも図や写真がメインの本なので、いわゆる“活字”だけの
本とは言えない。
とにもかくにも、小説やエッセイといった、文学的な活字のみの本とは
一切無縁の人間だったのだ。

高校入学後、ある男と親友になった。

その男とは、同じ中学校出身だったのだが、中学時代は、クラスも部活も
家の地区も違ったのでまったくと言っていいほど疎遠だったのだが、同じ
高校に進学してから、急になかよくなった。

トモユキ、という名前だった。

僕より格段に頭のいいヤツだった。学校の成績はいつも優秀だった。
でも、僕と同じような音楽が好きで、服やファッションに興味を持っていて、
煙草や酒も嗜み、女の子に興味があって、スケベだった(笑)
つまり、僕より勉強がよく出来ただけで、普通の10代の男だった。

或る日・・・高校1年の夏だったと記憶している。
僕がトモユキの家に遊び行った時のことだ。
彼が、僕に一冊の本を貸してくれた。

小説だった。
手渡された本の装丁を目にした僕は、
「俺、小説なんか読まんよ」
と、軽く拒否したのだが、
「まぁ、いいから読んでみろや」
と、軽い口調でトモユキは僕に薦めた。
仕方なく、僕はカバンの中にその小説を仕舞い込んで家路に着き、その日の夜、
ヒマつぶしのつもりでその小説をめくった。

一発で、引きこまれた。

何が理由で、どうして引きこまれたのか、分からない。説明したり解説するのが
野暮なほど、僕はその小説の世界に飲み込まれた。
世の中に、こんなに人を夢中にさせる表現の手段があるのだということを、16歳の
僕は、その時初めて知ったのだ。

その小説は、村上春樹の「風の歌を聴け」だった。

それから20年の時間が過ぎ、僕は今、本と普通に接して生きている。
毎週、何らかの本を読んでいる。
そして、まさかまさかまさか、アマチュアと言えども、自分自身が小説を書くように
なるだなんて、予想だにしていなかった。

トモユキは、高校卒業後、関西の大学に進学した。
数年前まで年賀状のやりとりはしていたが、
今では、それも途絶えた。
でも、きっとどこかで元気にしていることだと思う。

人は、人生の途上で様々な人と出会う。
そっと身体の表面を撫でる程度の軽い出会いもあれば、心臓を鷲掴みにされるような
出会いもある。
僕にとってトモユキは、明らかに後者だった。
彼と出会わなければ、今の僕は確実に違う人間になっていただろう。
どんな人間になっていたか考えても不毛な想像だが、きっと、今よりも浅い人間に
なっていたのではないだろうか。

僕は、今日も、新しい本を読む。
僕は、今日も、新しい小説を練る。
僕は、これからも様々なことを、考える。
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ファイティングポーズ。

2011-03-05 | Weblog
今日は、会社を休むことにした。

事前に有休を申請していたから、病欠でも慶弔でもないんだけど。
でも、数週間前から今日は休もうと決めていた。

大袈裟だけど、その決意は正解だった。

今週は、あまりにもいろんなことがあった。ありすぎた。
日替わりでラッキーとアンラッキーが繰り返される毎日で、
そのジェットコースターのような変動に、精神的にかなり
参った。

あまりこんな事を書きたくないが・・・今、僕はギリギリの
ところにいるような気がする。
崖っぷちで、なんとか踏ん張っているような状態。

「何とかなるさ」「なるようになるさ」

僕の信条と言ってもいいこの言葉も、今はハッキリと口に
することが億劫だ。
いや、そう言いながらも、そう思っているもう一人の自分も、
かすかにまだ僕の中に存在している。

しかし、そんな自分が表に出るのは、時間にすれば1時間の
うちの10秒くらいで、残りの3590秒は、悲しいけどネガティ
ブな僕が身体の外側も内側もスッポリと覆ってしまっている。

単に、怒涛のような仕事やちょっとした人間関係や不条理な
トラブルに疲れてしまっただけなのかもしれない。
人間は・・・いや、僕は、本当は弱いヤツだから。
このまま底なし沼のように心が落ちていかないか、今、少し
恐れている。

大丈夫だよな、俺。

何とかなるよな、俺。

なるようになるよな、俺。

今週最後の日記がこんな日記で、ちょっと悔しい。
来週は、笑えるような日記を綴れる事を祈りたい。

馬場俊英 「ファイティングポーズの詩」
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ニューヨークへ。

2011-03-04 | Weblog
僕はプライベートでイラストを描いて、それをネットで発表~
販売してもらっている。

もっとも、最近は小説の執筆に主軸を置いて、イラストの方は
ほとんど開店休業状態、とんとご無沙汰なのだが(^_^;)

先日、イラストをネットで委託販売してくれているawesome!から、
1通のメールが届いた。
メールには、“8月にニューヨークで個展を開くことになった!”
と書いてあった。

awesome!と知り合ったのは、今から4年ほど前だっただろうか。
mixiの中の僕も参加しているグラフィックデザインのコミュに、
あるトピックスが立ち上げられていた。

「みなさんの描かれたポスターを広く発表し、販売する事業を
立ち上げようと企画しております。賛同してくださる方、
ご協力してくださる方、ご返事お待ちしております!」

その一文に、僕は直感した。
本当に、直感だけだった。
しかし、こういう時の直感は、正しい。
僕はそう信じて生きてきた。

僕はawesome!からの切望にも近いメッセージを2回ほど読むと、
もうほとんど無意識のうちに、返事を書き、そしてパソコンの
送信ボタンをクリックしていた。

そのうちawesome!の輪郭がおぼろげに分かりはじめた。
そして主宰する人物も少しずつ分かりはじめた。
仙台の女性だった。
庄司さん、という女性だった。
しかも、僕と同い年だった。
公私でいろんな経験や体験をし、紆余曲折を経て、この
企画へとたどり着いたそうだ。

僕はそれまでストックしておいたイラストや、新たに描いた
イラストをデジタルデータにまとめると、awesome!にメールで
送信した。
こうして、僕は彼女がawesome!の立ち上げを表明してから、
その企画に賛同する2人目のクリエーターとして参加することに
なった。

それから約半年後、awesome!への僕の登録作品が8枚に達した記念に、
仙台市内のとあるフリースペースで、僕の個展を開いてくれた。
それは、僕にとって人生初めての個展となった。

その間にも、口コミやネットの効果で、awesome!への賛同者は
続々と増え、今では数十人のクリエーターが自身の作品を登録して、
委託販売してもらっている。

一昨年の3月、awesome!に参加している主に関西のクリエーターが
中心になって、共同個展「kaeru展」を大阪市内で開催した。
場所は大阪城の近くの小さなギャラリーだった。
僕も一枚の作品を描き、その個展に参加した。
開催中の週末に、ギャラリーにお邪魔した。
そこで初めて、awesome!を主宰する庄司さんに会った。

同い年だからか、それとも紛いなりにもクリエーター同士だからか、
なぜか初めて会った気がしなかった。
会話が弾んだ。
他の関西のクリエータの人たちも交えて、長い時間、いろんな話をした。
とてつもなく大きな夢と、エネルギーと、行動力を持った女性だった。
刺激という言葉が陳腐に思えるほど、たくさんの刺激をもらった。
(やっぱりこの言葉しか思いつかない

話は尽きることなく、そのまま夜の心斎橋のレストランへ場所を移して続いた。

その中で、誰ともなく「いつかニューヨークで、みんなで個展を開け
たらいいね」という言葉が漏れた。
その場にいたみんなは、その言葉にうんうん、と頷いてみせた。
庄司さんに目をやると、軽く頷きながらも何か思案している様子だった
ことが、今でもとても印象に残っている。
今思えば、きっとあの頃から、彼女はそのことを構想していたのかも
しれない。
みんなが、気体や煙のようにフワフワとした夢として頭の隅っこで
思っていただけの話を、彼女はこの2年間、現実のド真ん中で考えて
いたのだ。

今年の1月、彼女は、ニューヨークにいた。
滞在中、その行動を、逐一ツイッターで報告していた。
彼女は、マンハッタンの摩天楼の中を忙しなく動き続けていた。
なぜこの厳冬の時期に彼女がニューヨークへ行ったのか、その目的
までツイッターに書くことはなかったが、僕は一昨年の出来事を
思い出して、だいたいの察しがついていた。
後で報告のメールを受けたが、やはり彼女は下調べのために
ニューヨークへ行っていたのだった。

そして、彼の国でビジネスを始めるにあたっての様々な難解かつ
複雑な契約や交渉をクリアし、見事、今夏からニューヨークでの
ポスター販売へとこぎ着けたのだ。

もう一度書くが、彼女と僕は同い年である。

このバイタリティー、エネルギー、行動力、人を惹き付ける引力。
・・・僕は脱帽するしかない。
しかし、僕も負けていられない。
彼女に比べたら、まだまだ1/100にも満たない狭い世界にいるような
感じだろうが、それでも自分をさらに違う自分に変えられる場所まで
行かなければ。

ちなみに、ニューヨークで販売するポスターは、最初の段階では、
awesome!に登録してある作品の中から、awesome!の方で任意で
ピックアップするそうだ。
北米大陸でリアクションやレスポンスがありそうな作品を中心に
選んでゆくという。
僕もそれが妥当だと思う。
振り返って、僕がawesome!に登録している作品のタッチを考えると
・・・あまり適当な作品があるとは思えない(笑)
それでも、これからどうなるか分からない。
いつか、僕の作品がマンハッタンでお披露目される日が来るかもしれない。

子どもの頃から憧れていた、ニューヨーク。
創った本人よりも、作品が先に彼の街に行くようなことになれば、
それはそれで愉快なことかもしれない。

●awesome!ホームページ↓
http://asm-shop.com/

●awesome!内の、私の登録作品のページ↓
http://asm-shop.com/?mode=cate&cbid=162119&csid=3&sort=n
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ネックレス。

2011-03-03 | Weblog


写真は、僕が持っているネックレスの中で、
最も古いヤツ。

たしか結婚5周年(カワイイねぇ~)の
時に・・・自分で買った(爆)
だから、今から8年前の代物だ。

当時は、休日には必ず身に付けていたけど、
ここ数年はほとんど付けなくなっていた。
別に、妻と不仲になったから・・・とか、
他の女性から新しいネックレスをプレゼント
されたから・・・といった理由ではない。

単に、飽きていたのだ。

実際、別のネックレスもいくつか持っているので
(ちなみにすべて自分で購入)、そちらを
身に付けることが多くなっていた。

久々にシルバーアクセのボックスから、取り出してみた。
少し、色褪せていた。
いや、シルバーだから色褪せじゃない。
どちらかというと“くすみ”か?

とにかく、長年放置状態だったので、ボックスの隅で
淋しく汚れていた。

目の細かい布で拭いたら、光沢が戻ってきた。
キラキラと光るネックレスを久々に手にしていたら、
また付けてみたくなった。
この鎖を模したチェーン、ちょっとハデっぽくて敬遠
してたんだけど、付け方によってはカッコイイかも。

ペンダントは、ひとつ、新しいのを買おうかな

・・・う~ん、やっぱり春が近いんですな。
物欲がムクムクと目覚めはじめました(笑)
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カンニング。

2011-03-02 | Weblog
有名大学の受験でのカンニングが大問題になっている。

日本の名だたる大学の受験会場における(大学側からすれば)
想定外の行為だ。
だから、大学も当局も血まなこになって調査している。
おそらく、遅かれ早かれ当事者は突きとめられるだろう。

しかし僕の予想だが、きっと当事者には犯罪意識はなかった
のではないだろうか。

堂々と話す事ではないが、僕だってカンニングはしたことがある。
したことがある、というよりも、そんな行為はしょっちゅうだった。
ただ、僕らが学生の頃は携帯もインターネットもなかったから、
それこそ、机の下で教科書をこっそりめくったり、机の上に英単語を
薄っすら書いておいたり、数学の公式を殴り書きしたメモをポケットに
忍ばせていたり、机の前後の友達とチームを組んで、先生の目を盗んで
お互いの答案をこっそり見せ合ったり・・・まぁ、そんな感じだった。
今思えば、非常にアナログ的だが、当時はそのような道具や手段しか
なかったのだから仕方がない。

しかし、今回の一件は、その延長線上にあるような気がしている。

今、大学を受験をしている若者たちは、ものごころがついた頃から、
すでに携帯電話もインターネットも普及していた。
だから、彼らにとっては携帯もネットも、鉛筆や消しゴムと同じような
“普通の”道具なのだ。

カンニングは、自分の周りのモノをフルに使って行う行為だ。
それはいわば、履き違いはしているものの、明らかに“大人”との
知恵比べの行為だった。

今の“大人”たちにとっては、いまだに携帯もネットも普通の道具ではないのでは
ないだろうか。おそらく“特別な”道具という意識があるのではないだろうか。
大袈裟な表現をすれば、日常と非日常をつなぐ道具と思っているのかもしれない。

そこに、今回の事件の根源的な問題があるような気がする。

つまり、大人と受験生の間で、道具に対しての意識に隔絶的な差があるような
気がするのだ。

受験生は、大人たちの隙を盗んで、カンニングのアイデアの発想に精進する。
自分の周りの道具をフルに活用して。
その中に、日常の道具として携帯やネットがあれば、それを活用しようと思うのは、
ごく自然ななりゆきのような気がする。

今回、ここまで大きな問題になった出来事だが、そういうふうに考えれば、
今年の数校での発覚が初めてではないような気がしてきた。
いや、今回が初めてである方が、逆に不自然だ。

今回が初めてじゃない・・・・これって、何かの印象と似ている。

あ、大相撲の八百長疑惑だ
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小さな器。

2011-03-01 | Weblog
昨日は、辛かった・・・・。

月曜日の早朝から仕事道具のPCのHDDがクラッシュして、
HDDにバックアップしていたデザインデータが、
すべて消えてしまった。

何度もPCを再起動させたり接続を確認したが、どうしても
正常に戻らない。

頭が真っ白どころか、倒れそうになった。
冗談抜きで、会社から逃げ出したくなった。

普通の時なら、そこまで動転しなかったと思う。
しかし、今は繁忙期だ。
しかも、例年に増して大量かつ複雑な仕事が同時に進行していた。
その仕事のデータが、すべて消えてしまったのだ。

メンテナンスを依頼している業者の人に問い合わせた。
HDDのメーカーに問い合わせた。
一応、アドバイスをされたが、分かったようで分かっていないような状態。

営業から仕事の依頼が来る。
事情を話して、謝る。ひたすら謝る。
本当に申し訳なかった。

クライアントから電話がかかる。
いつもなら雑談がてら話す相手も、昨日だけは早く電話を切りたくて、
棒読みの業務口調になってしまった。
本当に申し訳なかった。

しばらくすると、総務の女性が手を貸してくれた。
彼女は、ほとんど“ただ使うだけ”の僕と比べて、格段にPCに精通している。
HDDの状況を説明すると、落ちついた言動で、僕の代わりにHDD復旧のために
対処してくれた。
メーカーに再度連絡し、復旧ソフトをダウンロードするサイトにアクセスし、
的確なソフトを選択し、ダウンロードのための段取りを取ってくれると、
それをダウンロードして、HDDを復旧してくれた。

彼女が、女神に見えた。
本当にありがたかった。
何度も何度もお礼を言った。

それにしても情けなかったのは、僕自身だ。
いつもは、のほほんと仕事をしているくせに、いざ初めてのトラブルに襲われると、
完全にパニックに陥って、何をどうすればいいのか、まったく判断ができなくなる。
昨日なんて、すべてのデータが消えてしまったことにあまりに動転して、生まれて
初めて過呼吸状態に陥った。

まったく、自分の器の小ささに辟易する。

今になって思えば、大したことではなかったのかもしれない。
周囲の人たちから見れば、些細なことだったのかもしれない。
実際、営業の方々も、総務の女性も、そして社長も、
「大丈夫だから、落ちついて」
と声をかけてくださった。
でも、いざこのようなトラブルに陥ると、いつもそんなに意識していないが、
「社内にデザイナーは僕1人だけ」という事実を、まるでナイフを目の前に
突き付けられたように痛感してしまう。

どんなに難しい仕事や大量の仕事を抱え込んでも、一旦受けた仕事ならば、
僕は放り投げることはしない。それだけは自信を持って言える。
でも、正直に吐露すれば、こういう自分ではどうしようもない状態に陥った時だけは、
僕はこの仕事を辞めたくなってしまう・・・。

今回は(いつもだけど)、社内の同僚のみなさんや社外のいろんな方々のおかげで
何とか助けてもらった。
「社内にデザイナーは1人」であっても、「独り」ではないことも痛感した。
おかげで、少しだけ頭によぎった「辞めたい」という衝動も、喉元過ぎればなんとやらで、
夕方頃には、気がつくとどこかに消え去ってしまっていた。

ありがたい。
申し訳ない
情けない。

昨日は、その3つの気持ちが僕の中で揺れに揺れた1日だった。
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