りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

元気が出る表。

2012-05-08 | Weblog
ネットで見つけた。

“兆”以上の単位って、日常生活で接することはほとんどないけど。
“不可思議”とか“無量大数”という単位まで行ってしまうと、数字も突き詰めれば
ある意味、哲学や宗教の領域にまで達してしまうのかもしれない。

しかしこの“1”と“0”のオン・パレードを見ていると、ふだん“万”あたりの単位に
振り回されて右往左往東奔西走している自分が小さく見えてくる。
“オレって、ちっちゃい事にこだわって生きてるなぁ”と(笑)

ちょっと、元気になったような気がする(爆)
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連休最終日。

2012-05-06 | Weblog
10年くらい前の広告だったかなぁ。

たぶんアリナミンVの雑誌広告だったと思うんだけど、
佐藤浩市がサラリーマンに扮したメインキャラクターで。

で、その広告のキャッチコピーが
「月曜日は、日曜日の夕方あたりからはじまっている。」
・・・というね。

仕事柄、世の中の広告コピーにはアンテナを張り巡らしてるんだけど、
このキャッチコピーを目にした時は、唸るのを通り越えて、
のけ反りそうになった(笑)
いやぁ~、世の勤労者の気持ちを巧く表現してるなぁ、と。

今日は、まさにそんな日曜日で。
しかも、4連休の最終日だから。

今年のGWは、のんびりしました。
ほとんど動かなかったし、家族以外の人にもほとんど会わなかった。
最も遠くへ出かけたのが、東隣の福山への義父の墓参りだから、
自宅から半径20km圏内しか動いていない(笑)
あとは息子と釣りに行ったのと、ボクの実家へちょこっと帰ったくらいか。
まぁ、毎度のことだけど、実家と言っても、丘をひとつ越えた場所なので、
直線距離で2kmもないですが(笑)

明日から、また日常です。
それなりに、仕事も動く。
プライベートでも、いろいろとあるみたい。
ま、“なるようになるさ”で、いきましょうか。

写真は、今日の午後、子どもたちと出かけた図書館にて。
暗闇の向こうの光、とでもいうのかな、こういう陰影のある景色って好きです。

今の心境っぽい・・・まぁ、そんな感じです。
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空と海だけ。

2012-05-05 | Weblog




息子と釣り中。

周りは、空と海だけ。

その真ん中に、なかなか釣れない釣竿。
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キース・へリング。

2012-05-04 | Weblog
今日は、広島のフラワーフェスティバルに行こうかどうしようか、
ギリギリまで悩んだ。

“ギリギリ”というのは、昼の2時くらいまで。

夕方5時30分から、奥田民生のライブがあったのだ。
ボクの暮らす街からクルマをすっ飛ばせば、2時間ほど。
もうギリギリまで迷って迷って迷って・・・結局やめた。

どうもまだ足が全快ではないことが、最大(というか唯一)の理由。

いつものボクなら“悩むぐらいなら行動!”というスタンスで
絶対に行くんだけど、今回はそういう気持ちになれなかったなぁ。
やっぱり、身体と精神はつながっているんだと思う。
健康な身体でないと、健全な精神は宿らないというね。
みなさんも、お気をつけて。

ところで、今日のグーグルのトップページイが、キース・へリングの
イラストだった。



何でだろう?と思ったら、今日はキースの誕生日だったのだ。
5月4日生まれで、今年生誕54周年。
なんとも語呂がいいことで(笑)

しかし、54歳なんだ・・・生きていれば。

彼が亡くなったのは、31歳の時だった。
ボクは、20歳だった。
その訃報を耳にした時は、ホントに驚いた。
なぜなら、ちょうどキース・へリングのポップアートに
のめり込みはじめた矢先だったから。

あの頃は、31歳というと、まだ自分よりはるか年上だったから
あまり実感がなかったけど、今思えばあまりにも若すぎる。
アートの世界では、54歳でもまだまだ若造なのに。

本当に彗星のごとく現れてあっという間に消えた、80年代の
ポップアイコンだったんだな。キース・へリングは。
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連休初日。

2012-05-03 | Weblog
今日から4連休です。

今朝、少し遅めに起きると、娘は部活で普段どおり学校へ行ってしまっており、
息子は朝食後に宿題を済ませると、1人で図書館へ行ってしまった。

なし崩し的に、家は妻とボクの二人きり。

妻は洗濯やら食器の片付けやら何やらとやっていたが、それらがひと段落すると、
ボクが寝そべってテレビを視ているリビングへ。
かと言って、別にこれと言って話す話もないし。
かと言って、まったく無言でいるのも奇妙だし。

「昨日は大雨だったけど、今日は晴れてよかったねぇ」

・・・気がついたら、庭先で洗車をしながら近所のオジサンと交わすような言葉を
口にしていた(笑)
予想どおり、妻の返事は「そうねぇ」のひと言だったが(^_^;)

テレビでは、ワイドショーをやっていて、羽鳥アナの突然の離婚報道と、憲法の
“知る権利”を放棄したくなるような塩谷某の低俗な芸能ネタ。
・・・そういえば、今日は憲法記念日だ(笑)

一昨日は、妻の父の命日。

午後から墓参りに行ってきます。
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5月2日の疑問。

2012-05-02 | Weblog
つい一週間前まで、まったく知らなかったけど・・・


塩谷瞬って、いったい何者よ(笑)?
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部活。

2012-05-01 | Weblog
娘が中学生になって、ほぼ一ヶ月が過ぎた。

その間に、小学校と大きく違う様々な中学校のカリキュラムにも
慣れてきたようで、新しい友達も少しずつできてきたようだ。

夕食の席で娘の中学校生活を耳にすると、ボクも懐かしく思ったり、
自分たちと違う今の決まり事に隔世の感がしたり・・・。

なかでも、“そのやり方は、ちょっとどうなのかなぁ”と戸惑ったことが、ひとつあった。
それは、部活だった。
娘が通う中学校では、生徒は必ず何かしらの部に入らなければいけないらしい。

つまり、部活が“義務”になっているのだ。

しかも部に入るためには、学校が用意した「入部届」に必要事項を記入して
部の顧問の先生にではなく、担任の先生に提出する。
おまけにその入部届の用紙には、ご丁寧に親の署名と判と緊急連絡先等々も
記入する欄があった。

なんだよ、これ?

ボクらが中学生の頃は、入部したければ、放課後にグランドなり体育館なり、
その部活動をしている場所にテクテクと行って、先輩か顧問の先生に、
“あのぉ~、入部したいんですけど・・・”とたどたどしくても自分の口で告げて
入部した。

もちろん、義務なんかじゃなかった。

部活は授業じゃないのだから、何も部に入っていない同級生は数え切れないほどいた。
いわゆる、帰宅部だ。
ボクだって、中1の時から陸上部だったけど、中3の夏休み前に自主退部したから、
最後は帰宅部だった。
ちなみに、卒業アルバム用の部活の写真撮影をしたのが退部した翌日だったので、
撮影の一週間後に退部した同級生は陸上部員として堂々と卒業アルバムに写って
いるが、ボクは見事に写っていない。
この件に関しては、ボクはいまだに顧問の教師を許していない(爆)

ちょっと、話が逸れてしまった。

つまり、部活をするのもしないのも自由。したいのなら、自分で入部しなさい・・・と
いうのが、中学生の部活動の決まり事だったのだ。

要するに、自主性に任されていたのだ。

ボクは、今でもこのやり方の方が中学生らしいと思う。
学生服や英語の授業や弁当や自転車通学・・・etc.中学に入学してから、そこが
小学校とは違う学校なのだと実感することは多々あったが、大人になった今思い返せば、
その最たるものが、“部活”だったように思う。

人の親になってからというもの、未熟ながらも子どもの躾のためにこれまでいろいろと
試行錯誤してきたが、その中で最近、子どもの成長のために最も必要なことは何か?と
考えることがたまにある。
ボクは、突き詰めればそれは、“自分のことは自分で”ということになるのではないか?と
思うことがある。

“服を着替える”、“片付ける”といったような、幼児の時には幼児なりの自主性の育て方が
あるし、小学生になれば小学生なりの自主性の育て方があるだろう。
そんな風に成長してゆけば、中学生には中学生なりの自主性の育て方があるはずだ。
部活なんて、その最たるものじゃないか。

しかし、なぜ部活を義務的なモノにしてしまったのだろう。

少子化で生徒の数が減ったぶん、どの部も部員数が減ってしまうからだろうか?
でも、それは国や時代の責任で子ども達には責任はないだろうに。
それとも、部活をさせていれば非行に走らない・・・とか、そういう考え方からだろうか?
もしそうなら、あまりにも滑稽だし本末転倒だし教育のベクトルの方向がデタラメだし、何よりも反吐が出る。
ボクらの中学時代でも、部活を一所懸命やりながらもタバコ吸ったりバイクに乗ってるヤツはいたぞ(笑)

中学の3年間は、長い人生の中で最も変化が大きくて、もしかしたら一生を左右する出来事にも
出会うかもしれない。どんな人でも人生の基礎が出来上がる大事な大事な3年間だろう。

そんな3年間の出だしを、“受け身”でスタートさせるのって、どうなのだろう?

たしかに自分のことを自分で決めて行動するは大変だ。
迷ったり、悩んだり、恥をかいたり、傷つけたり、傷つけられたり・・・etc.そんなことの連続だ。
でもそういう中からでしか、人間社会を生き抜く“強さ”は生まれないのではないだろうか。
せめて部活くらいは、12、3才なりの決断と実行を自分たちでさせてやった方がいい。

もしその決断が間違って失敗しても、それだってひとつの勉強じゃないか。
まだ子どもなんだから、親や周りの大人たちに守って支えてもらえる間に、その中で様々な決断と
行動の練習をさせてあげる方がよっぽど大事だと、ボクは思う。

・・・気がついたら、予想以上の長文日記になってしまった(汗)

ちなみに、ボクの娘は、美術部に入部した。
GWの休日中も、2日ほど部活動で休みが潰れるのだと、ぼやいていた。
しかし、念のために言っておきますが、娘の入部は“義務”ではありません。
絵を描くのが何よりも好きなので、小学生の時から入部を決めていて、入部届を担任の先生に提出する前に、
自分から美術室に行ったそうだ。
コメント (2)
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