りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

14年後の天使。

2014-03-05 | Weblog
14年前の今ごろ、とある病院のリーフレットのデザインを担当した。

そのリーフレットは病院全体の紹介をするのではなく、診療科目のひとつだった
“肛門科”だけを特化して案内をするリーフレットだった。
要するに、肛門科を受診するのは一般的にはまだまだ抵抗があるようなので、
それを少しでも緩和できるツールを作って欲しい・・・というわけ。

どんなモノを作ればいいか・・・色々と考えあぐねいて思いついたのが、天使だった。

お尻を見せても嫌悪感がないのは、天使ぐらいだろう。
じゃあ、その天使をマスコットキャラクターとして登場させて説明させたら、どうだ?

・・・というわけで、思いつきと勢いだけが取り柄のワタシは、その安易なひらめきを
頼りにリーフレットの制作に取りかかった。

こういう時のひらめきは、案外正しいのかもしれない。
レイアウトも文章も配色もキレイにまとまり、クライアントの医院にも気に入って
いただき、比較的短時間で完成したことを憶えている。

天使を登場させることは自分で決めたことなので、自然な流れで自分でイラストを描いた。
それまでも必要とあらば、用途に合わせていろんなイラストを描いていたのだけど、
天使を描くのは、おそらくその時が初めてだった。
元々、コピー(文章)を書きたくて広告業に入った人間なので、どちらかといえばイラストは
苦手だったのだが、この時は比較的スムーズに描けた記憶がある。
だが、このリーフレットのデザインが終わって、無事に印刷工程に進めた後、ちょっと考えた。

どうして、簡単に天使を描けたのだろう?

上述したように、さほど絵が得意ではないのに、この時だけはチャチャチャッと描けたことが
不思議に思えてきたのだ。
しばらくして、印刷会社からリーフレットの完成品が届いた。
その出来立てホヤホヤの刷り見本を手に取って眺めているうちに、その理由が分かった。

この天使は、娘をモデルにしていたのだ。

当時、娘は生後半年足らず。
だから、描いた天使のようにまだ立っていないし、首さえも据わっていたかどうか・・・という頃だ。
だから正確にはモデルではないのだけど、それでもワタシが描いた天使は、娘がモデルだった。

とどのつまり、10数年後の成長した娘を思い浮かべながら描いたのだった。

それまでのワタシがデザインしたモノといえば、雑というか乱暴というか直線的というか、
とにかく独りよがりな空気を持ったモノが圧倒的に多かった。
より多くの人に広く伝える・・・というのが広告の大前提なのに、“分かる人だけが分かればいいや”
という逆行甚だしい考えが垣間見えるような勘違い野郎だったのだ。
当然、そんな拙い考えの上に立って作ったモノが評価されることなんてあり得なかった。
その頃に作ったモノが今でもいくつか残っているのだけど・・・いやぁ、ヒドいっす(笑)

今思い返せば、この天使を描いた辺りから変わりはじめたような気がする。

その直接的な原因が、娘が生まれて“人の親”になったことだったのか、それは自分には分からないけど、
何かが少しずつ自分の中で変わりはじめたのか、この頃から柔らかいイメージのデザインや、万人に
受け入れられるモノをもっと真剣に腰を据えて作らなければ・・・と思いはじめたような気がしている。

先日、14年ぶりに、このリーフレットを改訂した。

診療時間や住所の地番の変更等の修正は施したが、14年前に描いたこの天使は、引き続き
新しいリーフレットにも登場することになった。

天使のモデルになったワタシの娘は、来月、中学3年生になる。
14年前に娘の未来を予想して天使を描いたわけだけど、14年後の天使のモデルは、予想とは
ちょっとイメージが違っていて、今は育ち盛りだからか、顔も身体も柔らかい曲線を帯び
はじめた様子。
おまけに、最近ではワタシがイラストの制作で煮詰まったら、美術部の彼女にアドバイスを
請うこともしばしば(笑)

天使を描いたあの頃には、想像もしていなかった未来に、ワタシは今、いるのかもしれない(笑)

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落ちついて、落ちついて。

2014-03-04 | Weblog
人間の感情の中で、最もエネルギーを使う感情は、“怒り”なのだそうだ。

しかしというか、だからというか、そんな高消費な感情なので、瞬間湯沸かし器のように瞬時に
湧き上がっても、それを長時間持続させることは、相当困難らしい。

ワタシも生まれてこの方、今までいろんな場面や相手に対して怒ったことがあるけれど、たしかに、
怒りに着火した瞬間と同じレベルで何時間も何日も何週間も怒り続けた記憶がない。
自身で鎮火させることもあるけれど、周囲の人に“落ちついて、落ちついて”と宥められて温帯低気圧に
戻ることもある。
怒りが鎮まると、心地よさとは全く無縁な虚しい疲労感に包まれることも常。
で、それと同時に“何であんな事で怒ったんだ?”とか“な~~んか、バカらしくなってきたなぁ”と
思いはじめる自分も生まれる。
詳しいメカニズムは分からないけど、そうすることによって、実は自分で自分を守っているのかも
しれない、と思う。

だって怒り続けても、自分の頭の血管が“プツン”ってなるしかないんだから。

ソチ五輪が終わるや否や。
同じ国家で、これほどまでに五輪開催都市の近くで、しかも恐ろしいほど短時間での豹変ぶり。

落ちついて、落ちついて。

ナイチンゲールが、泣いてるぞ。

●<ウクライナ>米、対露制裁を準備 EUと包囲網
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140304-00000027-mai-int
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靄が消えたら。

2014-03-03 | Weblog
気がつけば、もう3月で。

例年通りなら、今月の終わりにはこの辺りも桜が咲くらしいが、今はまだ半信半疑。
だって、ついこの前、“謹賀新年”とか“七草がゆ”という言葉を口にしたり耳にしたりしていた
ような気がするので。
でも、少しずつ暖かい日が増えているようだし、昨日は近くの山から今年初めて鶯の鳴き声も
耳にしたから、やっぱり本当に、もう世の中は3月になってしまったのだろう。

毎年書いているけれど、1年の最初の3ヶ月は、本当に早い。
もしかしたら、年毎に加速度的に早くなっているんじゃないか?と思うほど。

しかしこれは、錯覚でもなんでもなく、案外事実なのかもしれない。

例えば、1歳の幼児にとって“1年”という時間の長さは、1/1年。
2歳なら、1/2年。3歳なら、1/3年・・・という風に考えれば、今年の9月で45歳になるワタシに
とって“1年”という時間の長さは、1/45年、ということになる。

だから、1年が人生全てになる1歳児や、半生になる2歳児に比べれば、ワタシの中の1年の比率は、
当然低いわけで。
しかも、1年の間にどんな出来事があるか、それまでに44回繰り返した1年のおかげで、それなりに
学習もしているはずだから、“1年”という時間に対するリズムとか体内時計も出来あがっている
はずだ。

そりゃ、年々早くなるはずだわ。



写真は、先週末・土曜日の尾道水道。

この日の早朝は湿度が高かったのか、狭小な港全体が、すっぽりと靄に覆われていた。
そんな視界0m状態の中を、数隻の渡船のフェリーが、まるで悲鳴のようにひっきりになしに
汽笛を鳴らしながら航行していた。
そうしなければ、それぞれの存在が認識できないほど、深い、本当に深い靄だった。

なんだか、今の自分の状態を象徴している景色に見えた。

まぁ、消えない靄はないだろうから。
靄が消えたら、晴れ晴れとした顔で、綺麗な桜を愛でたいものです。
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