3.青春18きっぷの旅2019年夏編-呉線のリベンジ
呉線は広島から三原までを海寄りに走る路線で、
正確には山陽本線海田市から呉を経由して山陽本線三原に至る電化単線路線である。
呉は戦前から軍港として栄えた場所であり、
軍事都市であった広島との間に官設鉄道として1903年(明治36年)に敷設された。
広まで延伸したのは1935年(昭和10年)である。
三原から広までは三呉線と呼ばれ、
1930年(昭和5年)に三原から須波までが開業し、
その後翌年には安芸幸崎、その翌年には竹原まで延伸し、
1935年(昭和10年)には三津内海(現・安浦)まで延伸した。
同年11月24日には三津内海と広が接続し、この時に三呉線は呉線に編入された。
正確には山陽本線海田市から呉を経由して山陽本線三原に至る電化単線路線である。
呉は戦前から軍港として栄えた場所であり、
軍事都市であった広島との間に官設鉄道として1903年(明治36年)に敷設された。
広まで延伸したのは1935年(昭和10年)である。
三原から広までは三呉線と呼ばれ、
1930年(昭和5年)に三原から須波までが開業し、
その後翌年には安芸幸崎、その翌年には竹原まで延伸し、
1935年(昭和10年)には三津内海(現・安浦)まで延伸した。
同年11月24日には三津内海と広が接続し、この時に三呉線は呉線に編入された。
呉線は2005年10月に広島・瀬戸内フリーきっぷの旅で、
2泊3日の初日、2005年10月21日金曜日に乗り潰す予定でいた。
予定ではこの日、「のぞみ1号」で広島まで行き、
10:29広島始発の呉線・安芸路ライナーで呉、31分の乗り換え時間で広まで行き、
22分の乗り換えで呉線下りで三原まで行くこととしていた。
しかし呉駅でこの年の4月にオープンした[大和ミュージアム」を観に行ったため、
予定していた呉駅乗り換えの電車に乗れず、
1本あとの列車で広駅に行くことになってしまった。
また広での駅取材も38分の予定になっていたが、
特筆することもなく、反対方面の広島行きに乗り込んでしまった。
この時はまだ乗り潰しという概念はなく、
取材対象がないのなら撤退は当然という考えでいた。
そのため呉線は乗車区間が海田市から広までとなり、
広から三原までは未乗車区間となってしまった。
今回の旅では広島から三原までを広駅乗り換えで乗り潰すことにした。
2泊3日の初日、2005年10月21日金曜日に乗り潰す予定でいた。
予定ではこの日、「のぞみ1号」で広島まで行き、
10:29広島始発の呉線・安芸路ライナーで呉、31分の乗り換え時間で広まで行き、
22分の乗り換えで呉線下りで三原まで行くこととしていた。
しかし呉駅でこの年の4月にオープンした[大和ミュージアム」を観に行ったため、
予定していた呉駅乗り換えの電車に乗れず、
1本あとの列車で広駅に行くことになってしまった。
また広での駅取材も38分の予定になっていたが、
特筆することもなく、反対方面の広島行きに乗り込んでしまった。
この時はまだ乗り潰しという概念はなく、
取材対象がないのなら撤退は当然という考えでいた。
そのため呉線は乗車区間が海田市から広までとなり、
広から三原までは未乗車区間となってしまった。
今回の旅では広島から三原までを広駅乗り換えで乗り潰すことにした。