林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅15.

2022-10-24 | 鉄道・旅行

 15.富山港線取材-犬島新町と蓮町(馬場記念公園前)

ここからは午前中、残した電停の取材に挑戦する。
時間的に全て取材できるか分からないが、
光量的に限界まで取材することにする。
まずは犬島新町に行く。
千鳥配置のホームが設置されている電停で、
高屋敷田踏切を挟んで上下のホームが千鳥式に配置されている。

犬島新町は国鉄時代には駅はなく、
富山ライトレールに転換されたのと同時に電停が設置された。
この付近は線路が真っ直ぐ延びていて、
隣の電停も遠くに見ることが出来る。

隣の蓮町(馬場記念公園前)電停を出た富山方面の電車が見える。
これを見送り、岩瀬浜方面の電車を待って乗車する。
そして隣の蓮町(馬場記念公園前)電停に行く。

ここは1924年7月23日に富岩鉄道が敷設された時、
同時に「蓮町」の名称で駅が設置された。
富山ライトレール時代も「蓮町」の電停名だったが、
富山地方鉄道に吸収合併後の2020年3月21日に、
電停名を「蓮町(馬場記念公園前)」に変更された。
この電停も千鳥配置にホームが設置されている。
1番線の岩瀬浜方面を出ると道路を挟んで電停名にもある、
馬場記念公園が広がる。

公園の前には銅板で「馬場記念公園の由来と経緯」が設置されていた。

  当地は、富山市東岩瀬町の素封家馬場はる様の篤志により、
 大正十三年四月に開設された公立七年制の旧制富山高等学校の校舎跡地である。
  同校はその後、昭和十八年三月三十日に官立に移管され、
 さらに昭和二十四年四月七日に国立富山大学文理学部となったが、
 昭和三十七年三月に五幅キャンパスに移転したため、
 廃校となり旧校舎は取り壊された。
  長年多くの学生や学校関係者、そして地域住民から親しまれた伝統ある学園の地は
 昭和四十六年四月に市民の憩いの場として解放され、
 馬場はる様の遺徳をしのび、馬場記念公園と命名された。

公園の中はちょうど銀杏が黄色く色づいていた。

ここで少しまったりしてから再び電停取材に挑んだ。

コメント
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