rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

大根とレンコン

2011-11-24 22:50:44 | 食べ物たち
畑に育つ大根を、勢いよく引き抜いてくる。
上から下まで同く丸々と太った大根。
冬のご馳走、おでんにしよう。
外の井戸場で土を洗い流す。
すると、真っ白な張のある大根にお化粧直し。
すぱっと真ん中で輪切りにすると、切り口がなんとも瑞々しい。
そして、皮をくるりと剥く。
夏に収穫して倉庫に貯蔵してあるジャガイモも一緒に、ゆで卵と5種類の練り物、コンニャクなどを出汁で炊く。
コトコトゆっくり味をしみこませ、半日寝かせると出汁が芯まで沁みこんで、美味しいおでんに変身だ。
下茹でなんかしなくても、大根のえぐみなど全くないし、とろけるようなおでん大根になる。
すばらしい冬の恵み。
大根サラダ、漬物、ぶり大根、何でもござれ、全てが絶品。

レンコンは、この地方の特産物。
レンコン農家の知り合いが、掘りたてのレンコンをおすそ分けしてくれる。
太く大きいのも美味しいけれど、先端の小ぶりのレンコンはことのほか美味い。
地元の人は、煮ても揚げても小ぶりのレンコンのほうが美味しいと口をそろえる。
それに掘りたては、皮を剥いて水に晒すだけで真っ白で透き通っている。
もちろんこれも、そのまま調理しても大丈夫。
今回は、レンコンのきんぴらにして食べた。
自家製のいりゴマで風味をつけたレンコンのきんぴらは、甘辛シャキシャキして炊き立てのご飯にぴったりだ。

人は、土とともに生きていく。
その大地の恵みを直接頂ける今の環境は、とてもありがたい。
今生きていた命を、時間をおかずに頂く、まさに命の循環だ。
奪った命の価値を損なうことなく摂りこむのは、命を奪われたものにとって等価交換が成立したに等しい。
スーパーに並ぶ食品は、食べる者自らの手で命を奪った感覚が薄いから、その価値にぞんざいになるのだろう。
命を育てて、自らその命を奪い、自分の命を永らえる。
この基本で重要なサイクルを、もう一度肝に銘じてこれからの”食”を見直し、大切にしていこう。
その命を育む、土・水を汚さないようにしよう。
人は、生き物、食べていくものなのだから。

大地に囲まれて過ごす日々は、強い刺激に富んではいないけれど、見失いがちな大切なものを気付かせてくれる。
そうだ、大根とレンコンたちによって。

ポンペイレッド

2011-11-23 15:35:34 | アート
ディオニソスの秘儀

ポンペイの壁画を、この目で直に観たことはない。
かつて岩波出版社で刊行した”ポンペイの壁画”や、そのほか本やテレビなどで見るくらい。
ポンペイの、しかも”秘儀荘”といわれるところの壁画には、素晴しく美しい赤が画面を支配している。
いわゆる”ポンペイレッド”だ。
ディオニソスは、若いゼウスの名でもあり、ローマではバッカス、豊饒とぶどう酒と酩酊の神としてあがめられた。
この秘儀荘、子を授かリたい女性の呪術的願望の血縁と豊饒のワインを兼ねた赤が、象徴的に使われたのだと考えられる。
色数は多く使われていなくとも、左から右に流れる物語とシンプルな画面構成が、この壁画を稀に見る作品に仕立てている。
この部屋の壁面にめぐらされた絵の発する強いオーラを浴びていると、一種のトランス状態になりそうで、壁画の意図は確実に履行されるだろう。

ポンペイの壁画は、79年ヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流で、一瞬のうちに地中に埋もれてしまった。
それから、1600年余り密閉された状態で保存され、18世紀に発掘され今に至る。
しかし、太陽の光と雨など、あとは観光化されたおかげで、遺跡の保存が危機に瀕している。
是非ともこの目で見たいと強く願っていながらも、観光化などで人類の文化遺跡が破壊に瀕するのは、心が痛みもする。
画集を見ながら、脳内で秘儀荘の空間を再現するしかないのだろうか。

秘儀荘ではないけれど、この”花を摘むニンフ”の姿が儚げに見えた。
彼女を守るには、自分の欲望を抑えることも必要。
いつまでも、その姿麗しく永らえて欲しいと願う。

 花を摘むニンフ

シンプルトマトソース

2011-11-19 23:58:29 | 食べ物たち
 
19/11/2011のトマトソース

知人のプチトマト生産者の方に、ハネ品のトマトをたくさん頂いた。
もぎたて新鮮完熟トマト。
よく見ると、少々こすれ傷があったり、大きさにバラつきがある程度の、”食べる”にはなんら支障がない素晴しいトマトだ。
小さい人は、トマト好き。
真っ赤でピカピカ光るプチトマトを見るなり、両手一杯分を水洗いして、すぐさま美味しそうに食べだした。
強い甘みと爽やかな酸味のバランスが絶妙な、とても美味しいトマトだと、感動しながら。

シンプルトマトソース 
【材料】
・トマト               2kg 乱切り(大きいトマトなら皮を湯むきしてもよい)
・タマネギ             大3個 みじん切り
・ニンニク             1かけ みじん切り
・ローリエ             1枚
・チキンコンソメ          2個 (チキンでなくても構わない)
・トマトペースト          大さじ2杯分 (今は便利な小分けパックがある)
・オリーブオイル         大さじ3杯
・塩・コショウ           適量
 ※生のトマトがなければ、トマト水煮缶(ホール)3缶でもよい。この場合、トマトを潰しておくこと。

【作り方】
・みじん切りにしたニンニクを、オリーブオールで焦がさないよう香りを出しながら火を通す。
・みじん切りにしたタマネギを入れて、量が半分くらいになるくらい、できれば狐色になるくらいまで炒める。
・トマトを入れて炒め煮し、水が上がってきたなら、ローリエを入れときどきなべ底まで混ぜるようにして、弱火で水分を飛ばしながら煮る。この時、浮いてきたあくを取るとよい。また、ローリエは、10~15分程度で取り出すこと。
・コンソメ、コショウ、塩を入れて調味して出来上がり。

これは、シンプルなベースのトマトソースなので、用途によってオレガノやバジルを加えて風味付けしたり、その他料理に使える、作り置きしておくと便利なもの。

冒頭にも書いたが、ハネ品のプチトマト。
市場には出せないので、この生産者の方は、近隣のトマト好きにおすそ分けをして、廃棄処分しないようにしているのだろう。
せっせと丹精込めて作ったトマトだもの、捨てるには忍びない、その気持ちはよく分かる。
そのおかげで、我が家は飛び切り美味しいトマトをふんだんに食べられるので、大いに感謝している。
ほんとうにありがとう。
そのトマト、無駄なく今回も頂きます。

ボージョレー・ヌーヴォーと新米

2011-11-18 11:41:39 | 食べ物たち
昨日の11月17日木曜日は、ボージョレー・ヌーヴォーの解禁日だった。
498が定番の我がワイン状況では、980円以上するボージョレーの新酒祭りに参戦できない。
店頭に並んだボージョレーに羨望のまなざしを投げかけながら、棚の下に辛抱強く並んでいる498のワインを手に取った。
それでもかつて、シャンゼリゼのビストロにおいてボージョレーの祭典で、新酒の喜びに与ったときもある。
大地の豊饒に皆が酔いしれ、浮き立っていた。
体の芯から湧き立つ、食への強い衝動が、街中を支配して、大気をどよめかせている感じがする。

これと似たものに、日本における新米への根強い期待感がある。
新米の時期になると、店先に”新米”のシールを張った米の袋が積み上げられ、外食店ののぼりにも新米の文字が躍る。
そして、家庭の食卓では、「今日のご飯は、新米なのよ」と、誇らしげに炊き立てのご飯を茶碗に盛り、新米の輝きに目をそ褒め、艶やかに光った米粒を口に頬張る光景が、いたるところで見られるに違いない。
我が家でも、今年収穫した自家新米に舌鼓を打っている。
こうして1~2ヶ月は、新米の美味さを思う存分味わうのだ。

フランスにおけるボージョレー・ヌーヴォーと日本の新米は、似たところがある。
おおよその人たちが口にし、それに寄せる依存度が高いもので、大地から一年の労で購われ口にするものは、共通項として成り立つ。
新酒と新米は、”食”として人の命を繫ぐシンボリックなものになりうる。
だから、それを口にできる時期に人々が歓喜するのだろう。
”これが、今年の恵みなのだ!”と。

しかし、なんと幸せなことなのだろう。
生きる基本”食”の安定、その豊かさよ。
ニュースの映像で、ボージョレーの解禁日に沸く人々の様子が映し出されていた。
世界でもっとも幸せな人の顔が、そこにはあった。
美味しいものを口にし、他の人々とその喜びを心の底から分かち合う、至福ではないか!
けれど、これ以上を望んで、悶々とする人の愚かさ罪深さよ。
欲を完全否定するわけではないが、多くを手にできる者は、できない者、足りない者を追い立ててはいけない。
より奪ってはいけない。
自らの恵まれた資質を、不足している世界の補完に傾けてもいいのではないだろうか?
あるとおもえなけれど、善意の連鎖に期待し縋りたい、閉塞した危機的な世界。

”人は、生きるために食べる”だけではなく、”食べられる喜び”を皆が分かち合える世の中になって欲しいと、強く強く願っている。

それなのに、小さく心貧しい自分は、今年こそボージョレーの恩恵に与りたいと密かに考えている。
498ワイン生活者でも、間違いなく美味しさを堪能できる身の丈ボージョレー・ヌーヴォーは、何処にありますか?


冬の幸せ

2011-11-16 22:21:15 | 随想たち
今日は、よく晴れて、乾いた北風が吹いていた。
そんな日には、掃除洗濯に布団干しと大忙し。
もちろん、シーツ類も洗濯して、さっぱり気持ちよく。
部屋の窓も開け放ち、部屋の隅々まで空気交換。
午後2時には、布団を込んで、洗濯物を取り込み、窓を閉めて部屋に太陽の温もりを閉じ込める。
日向に座っての珈琲で一休みは、至福のひと時。
そして今夜は、さらさらほかほか気持ちのよい布団で、みんなすやすや夢の中。
こんな些細で地味なことが、実はほんとうの冬の幸せ。
必要なのは、晴れて乾いた冬の日と、家事に勤しめるじゅうぶんな時間。