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ヒエロニムス・ボス、透過する絵画

2011-11-03 23:50:39 | アート
快楽の園(パネル中央)

15世紀から16世紀にかけてのネーデルランド(いまのオランダあたり)で活躍した、初期フランドル派の画家。
スペインの王フェリペ二世が愛好したので、現存する作品の主要なものが、マドリードのプラド美術館に所蔵されている。

ボスの絵は、重量感を感じない。
たとえ色調の暗い絵でも、その質感は限りなく無に近い。
全てのものが透過してしまいそうだ。
彼の絵の前に立つと、自分の視線も、自分自身も、この絵をすり抜けていく感覚に囚われる。
彼の絵は、光で出来ているのか?
それとも、この絵は既に、宇宙なのだろうか?
異次元に迷い込み、宙を漂っている不思議な感覚に陥る。

 十字架を担うキリスト

ボスの透過性のある画面に肉薄しているのは、イタリア・マニエリスムの画家ヤコボ・ポントルモの「十字架降下」を思い浮かべる。
何処から照らしてくるのか人工的な光と、ジェリービーンズのようなポップな色彩が、その効果をあげている。
ミケランジェロよろしく、肉体の存在感を表すようなモデリングがなされた登場人物だが、光と色によって、重量感を相殺している。
だから、奇妙な雰囲気がこの絵に満ちているのだ。

プラドを訪れたときは、灼熱の真夏のマドリード。
フィレンツェを訪れ、ポントルモのこの絵が収められている教会を探しあぐねたのも、恐ろしく乾き暑い夏の日だった。
暑さで感覚が飛んでしまったわけではない。
ボスの絵も、ポントルモの絵も、対峙するたびに自分が絵をすり抜けてしまう。
もしかすると、絵の質量が無になるのではなくて、この絵によって自分が無にされてしまうのかもしれない。
ああ、眩暈がする。

 ポントルモ:十字架降下