1945年8月15日大東亜戦争が終結、16歳になったばかりの私は
9月には疎開先の広島から東京の家に戻りました。
翌年4月に5年生になり、学校の部活ができ
写真部ができたので早速入会、父のカメラを使い撮影、
現像、焼き付けなどしました。
父の2台のカメラのどれを使ったのか覚えていませんが
多分,下のデアドルフだと思うのですが。
1945年8月15日大東亜戦争が終結、16歳になったばかりの私は
9月には疎開先の広島から東京の家に戻りました。
翌年4月に5年生になり、学校の部活ができ
写真部ができたので早速入会、父のカメラを使い撮影、
現像、焼き付けなどしました。
父の2台のカメラのどれを使ったのか覚えていませんが
多分,下のデアドルフだと思うのですが。
父のカメラについて、弟からのメールでの説明によると
リンホフは、ドイツのカメラメーカーで、
世界で初めて組み立て式フィールド用大判カメラを製造した
パイオニアであり、スタジオ用大判カメラを製造している
ジナーと並ぶ世界最高峰の大判カメラメーカーです。
乾板でなく大判のフイルムが一枚づつ黒い袋に収まり、
写真を撮って袋の端を引っ張ると後ろに回って
次のフイルムが現れるという,凝った造りでした。