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『ホームラン王 残念さん』
三郎は今日も不採用通知を受け取った。これで59社目である。
最初のころは封筒を開けるまでドキドキした。「ひょっとしたら!?」という気持ちがあったからである。
友だちが合格通知を封筒ごと見せてくれて分かった。
合格通知はその後に必要な書類や注意書きが入っていて分厚いのである。友だちのそれは80円で足りず90円切手が貼ってあった。
それから、三郎は封筒を持っただけで分かるようになった。定形最大は25グラムまでである。不採用通知はA4の紙切れ一枚。10グラムもない。持てばすぐに分かる。
次ぎに、三郎はポストの中のそれを見ただけで分かるようになった。二枚以上の書類が入っているものは、微妙に膨らみ方が違う。
次ぎに、三郎はポストに入る封筒の音で分かるようになった。A4一枚の封筒が郵便受けに入る音は、ハカナイほどに軽い。
三郎は、名前の通り三男ではない。単に父が二郎であったことから付けられた名前である。しいて理由を探すと三人姉弟で、上二人が女で、男女雇用機会均等法の精神からすれば不思議ではない。これを思いついたときは、自分でおかしくなり、だらしなく、ヤケクソ気味に笑った。
運動不足で、緩んだ体から緩んだ屁がでた。まるで老人のアクビのように締まり無く、長ったらしい屁で、自分でもイヤになった。
ヤケクソ半分でバットを持ち出して銀行強盗……などは思いもせずに、淀川の河川敷に行った。
河川敷の石ころを拾っては、川に向かっていい音をさせてバットで打ち込んだ。高校時代から使っている金属バットで、それなりに大事にしていたが、万年一回戦敗退の4番バッターでは、煩わしいだけのシロモノに成り果てていた。
カキーン…………!
ええなあ……音だけは。
そのささやかな、ウサバラシも、心ないお巡りの一言ですっとんだ。
「ニイチャン、ここでバット振ったらあかん。そこの看板に書いたあるやろ」
「野球はアカンとは、書いたあるけど……」
「バット振るのも野球のうちや」
「あの……」
「なんや……」
また緩んだ屁が出た。偶然お巡りは風下に居た。
「わ、く、臭い! イヤガラセのつもりか!」
「そんなん、ちゃいます……」
お巡りが行ったあと、三郎は、つくづく情けなく、落ち武者のように河原に座り込んでしまった。
「懐かしい臭いであったのう……」
気づくと、三郎の横に本物の落ち武者が座り込んでいた。
「あ、あんたは……!?」
「素直な性格をしておるの。お察しの通り、わしは落ち武者じゃ。もう、かれこれ四百年ほど、ここにおる」
落ち武者は、槍の穂先で大きな頭ほどの石を示した。
「墓……ですか?」
「土地の者は『残年さん』と呼んでおる。少しは御利益のある、まあ、神さまのなり損ない、成仏のし損ないじゃ」
「はあ……」
「慶長二十年、わしは、ここで討ち死にした。徳川方二十余名に囲まれてのう。名乗りをあげようとすると、さっきのおぬしのように長い締まりのない屁が出てな。臭いはおぬしそっくりであった。臭いにひるんだ三人ほどは槍先にかけたが、所詮多勢に無勢。ここで朽ち果てることになったのよ」
「はあ……」
「同じ臭いの縁じゃ。なにか一つだけ願いを叶えてやろう。ただし、残念さんゆえ、大した願いは叶えてやれんがな」
「就職とか……」
「無理無理、ワシ自身が仕官の道が無いゆえ大坂方についたんじゃからの」
「じゃ、彼女とか……」
「……無理じゃのう、その面体では」
「じゃ、じゃあ、ホームラン打たせてくださいよ!」
「ほ、ほーむらん?」
「あ、このバットで、このボールを向こう岸まで打ち込みたいんです!」
「おお、武芸の類じゃのう。それなら容易い。今ここで打ってみるがよい」
三郎は、高校時代の思い出のボールを思い切り打ち込んだ。
カキーン…………!
「また、おまえか!?」
さっきのお巡りが、本気で怒ってやってきた。落ち武者の姿はすでになかった。
偶然だが、このボールは、向こう岸で女の人を刺し殺そうとしていたオッサンの頭に当たって気絶せしめた。あとで、そのことが分かり、府警本部長から表彰状をもらった。
その後、三郎は阪神タイガースのテスト生の試験を受けて合格した。バッターとしての腕を買われたのである。
半年後、目出度く一軍入り。代打者として、またたくうちに名を馳せた。満塁ツーアウトなどで代打に出ると、必ずホームランをうち逆転優勝に持ち込んだ。
そして、その年、タイガースはリーグ優勝してしまった。
三郎はめでたくベンチ入り、日本シリーズも優勝し、いちやく時の人になった。
『イチローより三倍強いサブロー』がキャッチフレーズになった。『神さま、仏さま、サブローさま』ともよばれた。
そして、これが三年続いた。
なぜか、タイガースの人気が落ちてきた。必ず勝つタイガースは関西人の趣味に合わなかったのだ。
阪神は、三郎を自由契約として、事実上首にし、ほどよく負けるようになって、チームの人気が戻ってきた。
その後の三郎が、どうなったか、3年もするとだれも分からなくなり、甲子園球場の脇に石ころがおかれ、誰言うともなく、サブローの残念塚と呼ばれるようになった……とさ。