時かける少女・4
『運命の熱中症・1』
独り言言って寝返りをうったら、日めくりが目に付いた。
1985年(昭和60年)8月12日(月)とあった。
「もおおおおおおおお、早くしないと、ホントに置いてっちゃうぞ!」
妹の美登子が、東京弁でダメオシを言った。
当たり前っちゃ当たり前。うちは東京なんだから、ミトが東京弁で言っておかしくはないんだけど、お母さんが京都の出身なんで、お母さんの言葉は、あたりが柔らかい。ミトの言い回しはムカツク。と言っても、立場が逆なら、同じ言い回しでミトをムカツカセテいただろう。まあ、十代の女の子の感性なんてこんなもんだ。と、客観的に思うことで、昼寝から起こされた腹の虫をなだめる。
「ハハ、お姉ちゃん、ほっぺたに畳の跡がついてる。ほら」
ミトは、わざわざ玄関の鏡の角度を変えて見せる。
「これは、三十分もしたら治るけど、ミトの顔は一生そのまんまだもんね」
「あー、そういうこと言う!?」
「よしなさい二人とも。お母さんだって、ミトの顔って、娘時分のお母さんにそっくりだから、大きくなったらベッピンさんになるから」
「それって、あんまり慰めにならないんだけど……」
「実家に着いたら、女子高時代の写真見せたげる」
「去年見た。だから言ってんの!」
「アハハ、女コント55号だ!」
「美奈子、ヨダレのあとが付いてるよ」
「え、うそ!?」
賑やかに、親子三人車に乗った。わたしは、ガレージからの誘導役で、表通りに出てから乗り込む。
「オーライ、オーライ……あ、ちょい切り直して」
「あ、お姉ちゃん。ノボ君から手紙預かってる!」
「なんで、そんな大事なモノ、早く見せないの!」
「だって、昼寝してたんだもん。起こしちゃ悪いでしょ」
ミトは、また鏡を出して、わたしの顔を写した。
「もう……」
その鏡には、わたしの畳顔の向こうに、横倒しになった自転車の後ろ半分が映っていた。このカーブをうまく回らないと表通りには出られない。
「もう、だれが、こんなとこに……」
わたしは、自転車を起こしに行った……そして驚いた。
登が、そこに倒れていた。
「登、どうしたのよ!?」
触った登の体は火のように熱かった。呼吸も速く、意識もなかった。
「お父さん、お母さん、ノボ……友だちが倒れてんの!」
お母さんが、真っ先に出てきた。
「こりゃ、熱中症だわ。ミト、お姉ちゃんといっしょに、そこのコンビニで氷買っといで。お父さん、救急車呼んで!」
氷を買ってくると、お母さんは、ノボを日陰に連れていってくれて、お向かいのホースを借りて、ノボを水で冷やしていてくれた。
「お母さん、氷!」
自分の声が震えているのが分かった。お母さんはテキパキと氷りの袋を首筋、脇の下。そして脚の付け根にあてがっていた。お母さんは、元看護婦なので、そのへんのツボは心得ている。
「救急車はすぐに来る。美奈子、この子の家の電話番号知ってるか?」
ノボとのことは、家族には秘密にしておきたかったけど、今は、そんなこと言っていられない。
呼び出し音が二十回鳴るのをもどかしく聞いて諦めた。
ノボのご両親は二年前にオープンした東京ディズニーランドに勤めている。お盆に入りかけたこの時期は、ほとんど泊まりがけの仕事だろう。
「だめ、通じなかった」
「仕方がない。母さん、里帰りは日延べだ。航空会社にキャンセルの電話してくる。もし、明日の朝の便に空きががあったら、頼んでみるよ」
「チ、こいつのためにキャンセルかよ!」
「そんなこと言うもんじゃないわよ。危うく人一人の命がたすかるんだよ。それにうちがキャンセルしたら、他に四人の人が乗れるわ。その人たちは、わたしたちより、もっと大事な用事かもしれないし」
お母さんは、カトリックらしい説教をミトにした。妹のミトは、こういう言われかたが嫌いなので、ソッポを向いている。
「母さん、明日の朝一番が、奇跡的にキャンセルが出たからとっといた。席はバラバラだけどな」
「えー、バラバラになんの! 横がへんなオジサンとかだったらミトやだなあ……」
「ハハ、オレも、123便て語呂は気に入ってたんだけどな。ま、午前中には京都に着けるさ」
そのとき救急車がやってきた。
「美奈子、お前が乗っていけ。意識が戻って、知り合いが居ないのは心細いだろうからな」
「病院についたら、連絡ちょうだい。これ、緊急時の費用にして」
お母さんが、使いやすいようにテレホンカード、それに一万円と、千円札の束をくれた。
「じゃ、行ってくるね」
これが、いくつもの大きな運命の曲がり角になるとは思わなかった……。