オフステージ(こちら空堀高校演劇部)
111『ヒトという字は人? 入?』
人いう漢字を手ぇの平に書いて飲んだらええぞ!
衣装に着替えてワタワタしていたら啓介が教えてくれた。
「そ、そうなんだ(;゚Д゚)、ちょ、ちょっとサインペンとかないかな?」
「はい、どうぞ!」
美晴がサッとサインペンを差し出した手にもドーランの香り。
楽屋になった体育準備室は演劇部と、そのお手伝いさんたちで一杯。
予想はしていたけど心臓バックンバックン!
舞台に立つというのはエキサイティングすぎる!
「えと、ヒトってどっちだっけ?c(゚.゚*)エート。。。 」
使い込んだ台本の端っこに「人」と「入」を書いて須磨先輩に見せる。須磨先輩は、六回目の三年生という貫録で敵役のコス。
「アハハ、緊張すると忘れるよね『人』の方だよ」
「あ、ども」
「……って、手に書くの?」
「うん、啓介が」
「あ、それって指で書くだけよ」
「え、あ、そうなんだ」
在日三年、たいていのことには慣れたけど、こういうところでポカをやる。
「あ、でも、わたしアメリカだからAの方がいいかな?」
「A?」
「 audienceの頭文字」
「なーる(▼∀▼)!」
「あ、でも観客は日本人ばっかですよー」
千歳がチェック。
「そっか、じゃ両方やっとこ……ちょ、ミッキー、あんたも!」
「me?」
「相手役はわたしなんだから、やるやる!」
さっきからアメリカ人らしからぬ貧乏ゆすりをしている。
「お、オーケーオーケー……あ、なんて書くんだっけ(@゜Д゜@;)」
「人よ人、でもってオーディエンス!」
「え、あ……」
テンパってやがる。
「書いたげる!」
小道具のチェックをしていた美晴が乗り出す、とたんにデレるミッキー。ま、こんなときだから突っ込まないでおこう。
本番まで15分、みんな準備は済んでしまって静かになってしまう。
う~~~~こういう時の静けさは逆効果。
いったんは納得した「こんなに痩せてしまって」の台詞が、おりから観客席で沸き起こった笑い声と重なって、自分が笑われたみたいに緊張する。
ステージはミス八重桜の奮闘で広く安全になった。
昨日は、そのステージを見て、グッとやる気になったんだけど、今日は、その分笑われるんじゃねーぞ! というプレッシャーになる。
あ、えと、本番前なんで……
入り口でなにかもめてると思ったら「わたしは着付け担当ですーー」と声がして人の気配。緊張しすぎのわたしは顔も上げられない。
「ミリー、観に来たよ」
間近で声がして、やっと分かった。
「お、お婆ちゃん!?」
「着付けが気になってね……ちょっと立ってごらん」
「は、はい」
着付けはさんざん練習したんで完璧のはず。
「うん、きれいに……ん? ミリー、あんた左前やがな!」
「え? え? そんなことは……(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!」
みごとな左前に気づいて、いっぺんにいろんなことが飛んでしまった!
「ちょっと、いったん脱いで!」
言うが早いか、お婆ちゃんは長じゅばんごとわたしをひんむいた。
本番は大汗をかくと言われていたので下着しか着ていない……それも、線が出ちゃいけないので、そういう下着!
本番終るまでは、もう目も当てられないことに……なったかどうかは、またいずれ。
たまに高射砲に当たって落ちてくる米軍機がいる。
間抜けとも不運とも言える。高射砲というのは時限信管で、弾が一定の高度に達したときに爆発する。だから、今のミサイルと違って、相手目がけてとんでいって爆発するようなシロモノではない。直撃なんか、まずありえない、爆発半径10メートル以内に飛び込んできて、運悪く、その弾片を食らったものが落ちてくる。
で、その不幸……と言うより間抜けの部類に入る飛行機が落ちてきた。正式にはP38ムスタングっていうんだけど、みんなは、省略してP公と呼んでいた。
日和山の高射砲陣地には、それまで敵機を一機も落としたことのない高射砲陣地があった。ま、八王子まで飛んでくる敵機はあまりいないので、チャンスにも恵まれなかったこともある……というのは日和山の兵隊さんの言い訳であるとみんな思っていたが、予備役の隊長さんや、どう見ても応召のオッサンの兵隊さんに悪いので、米軍機も性能がよくなったし、とか、威嚇の役割は十分果たしていますよ。などと、取りようによってはオチョクリになりそうな慰めの言葉をかけていた。でも、日和山の隊長さんも兵隊さんも怒ることもなく、頭を掻いているだけだった。
それが敵機を落としたのである。陣地の兵隊さんも、里の村人も茫然だった。
敵機が間抜けと言うのは、パイロットが脱出して決定的なものになった。なんと敵のパイロットは、長徳寺の本堂の上に降りてきてしまったのだ。屋根のてっぺんに落下傘がひっかかり、降りてくることができない。なんとか落下傘は外したけど、小なりと言えどお寺の本堂。とても飛び降りられる高さではない。
そのうち、村人や憲兵さんたちがやってきたが、容易に手が出せない。敵のパイロットは拳銃を持っているのである。パイロットは大汗をかきながら喚いている。だが意味が分からない。
「この暑いのに、あれじゃ、半日ももたねえよ」
かづゑの父が長閑に言った。兵隊さんたちも下手に本堂の大屋根に上るのは得策ではないと手をこまねいている。だれも口に出しては言わないけれど、日本の劣勢は明らかで、捕虜には死んでもらいたくはない。
で、かづゑがセーラー服にモンペ姿で大屋根にあがることになった。女学校4年のかづゑは、一年だけ英語の授業を受けたことがあるので、選ばれてしまったのである。
「ハウ、ドウユードウー。アイム、ア、エルダードーター、オブ、ディステンプル。スクールガール。OK?」
「ヤー、アイム、マイク・ルーニー。キャンユー スピーク イングリッシュ?」
「イエス、アイ キャンスピーク リトゥル。アーユー、サースティー?」
そう言って、かづゑは水筒を差し出した。マイクは弱っていて、水筒を落としてしまった。とても悲しそうな顔になった。
「アーユー サッド?」
マイクは、力なくうなづいた。かづゑは頭の回転のいい子であった。
「すみませーん。そこの消防ポンプのホース、投げてくれません!」
村人が、ホースの口を投げあげ、兵隊たちが、手押しポンプを漕ぐと、ホースから勢いよく水が吹き出し、本堂の上に虹がかかった。マイクも日本人も一瞬感動した。かづゑは、マイクに水をかけてやった。
「オー ナイス。カムファタブル!」
マイクは、素直に喜び、直にホースの口から水を飲んだ後、真上に向けて水を撒き、さっきより大きな虹が本堂の上に現れた。
その虹は、CG処理され、三越紀香のときよりも盛大な虹になった。
スタッフと、マイク役のジョ-ジの提案で『長徳寺の終戦 ファーストレインボウ』と改題された。
この後、終戦の日に防空壕を掘るという間抜けたエピソードが入り、クランクアップになった。
このピンチヒッターで入ったドラマが意外な反響を呼び、さくらの運命を変えることになるかは、だれも想像ができなかった。
ただいま……!
さすがに二年ぶりの「ただいま」は声がうわずってしまった。
かすかなあたしの期待に反して、お母さんの姿はなかった……。
テーブルの上のパソコンが新型に替わっているだけで、あとはカレンダーが今年のに掛けかわっているくらい。
この二年間、あたしが居なかったことが、まるで嘘のように変化が無かった。
そのとき、コップの氷が溶けて、コトリと音がしたような気がした。
なにかが壊れたような……なにかが落ち着いたような妙な気分……。
あたしが家出をしたのは、二年前の六月。
今日みたいにどんより曇った修学旅行の朝。
あたしは、その曇り空とは反対に、晴れ晴れした気持ちでワクワクしていた。
なんてったって、修学旅行。大きいカバンを買ってきて、リビングにデンと置いても、そのカバンに着替えを詰め込んでも、いつもより念入りにメイクしても、なにも疑われない。
それどころか、二万円のお小遣いさえいただいて、堂々と玄関から大手を振って家出することができた……。
駅から……集合場所の空港へ行くのとは反対方向の電車。
その四人がけのシートに収まったとき、オヘソのあたりから、今まで味わったことのない開放感がこみ上げてきた。
その開放感がホッペのあたりでニマニマ沸き立つのを、押さえることができなかった。
「ネエチャン、なんかええことあったんか?」
ほとんど、そう聞きそうになっている吉本系のオヤジと目が合いそうになり、ようやくあたしは、ホッペのネジを締め、窓の外に目を向けた。
あたしの家出先は、豊かな自然と、細やかな人情が売り! と知事自らがテレビコマーシャルをやっている二つむこうの○○県。その西のハズレのリゾート地。そこの民宿でバイトしている三つ年上の大学生。
この人は、友だちがサイトで知り合った「友だち」。友だちの付き添いで会いに行ったら、向こうも付き添いだった。
で、気づいた頃には、友だち同士はとうに別れたというのに、付添同士が熱くなってしまっていた。
家出も、この人と互いに不満やグチを遣り取りしているうちに意気投合。
決まっちゃった。
バーチャルな「友だち」は飛躍が早い。
「家出……」
と、書き込んだ。
「やってみればあ」
クレヨンしんちゃんみたいな返事が返ってきた。それからゲームの裏技みたいな家出のあれこれを教えてくれた。さすがに、あたしが見込んだだけのことはある!
でも、修学旅行にかこつけて家出するのは、あたしのアイデア。
「実行!」
そう打った。
「スゴイ!」を何度も繰り返した、どう見ても百パーセント賛成のメールが返ってきて、それで決心!
あたし、悪戯に関しては、子どもの頃から天才。
電話の受話器を置くとこのポッチにセロテープ貼り付けて、受話器を取っても電話が鳴り続けるようにしておく。車のフロントグラスに水性のポマードで蜘蛛の巣みたいにヒビを描く。これって、けっこうリアルに見えるんだよ。慌て者のお母さん110番に電話しちゃって、親子共々叱られたけど楽しかった。
トイレの便座の下にラップを張っておく……これは、やった本人が忘れ、自分でひっかかって情けないったらありゃしない。
人から見ると、あたしの家出は、そういう悪戯の延長というか、すごく軽いノリでやっちゃったみたいに見えるかもね……。
でも、実際はちがう。
軽いノリと、悪戯気分でやってしまわないと、やれないくらい、それほど当時のあたしには重大ってか……追いつめられていたんだ。
母親と二人だけの家族は……それが家族と言えるなら、あたしには重荷だった。
「今日は、そこまでにしときまひょ」
珠生先生の言葉で、由香さんは憑き物がが落ちたようになった。
「どう、少しは軽なった?」
「ええ、こんなに解放されたのは久しぶりです!」
由香さんは、女子高生にもどったような(さっきまでは、まさに戻っていたんだけど)軽やかさで言った。
「貴崎先生のお話は面白そうやから、小出しにいきましょう。次ぎ、また楽しみにしてますからね。よかったら帰り一駅分ぐらい歩いてみるとええわ」
「はい、そうします。じゃ、失礼します。里中さんもありがとう……」
元気に由香さんは出て行った。
「かなり楽しげな少女時代だったみたいですね。最後の瞬間を除いて」
「わたしは、最初から痛々しかったわ。ちょっと窓から外見てごらん」
由香さんは、建物を出てしばらくは元気そうだったけど、門が近くなると背中を丸めてキャスケットを深々と被った。まるで荒れ野の魔女に魔法をかけられて九十歳のオバアチャンになったソフィーみたいだった。
「うちの魔法も、敷地の外まではもたへんなあ。ま、ボチボチいきまひょか」
私は、珠生先生が、本当の魔女のように見えた……。
乙女と栞と小姫山・26
朝から栞の話でもちきりだ。
一昨日収録された梅沢忠興とのインタビューが昨日の朝に放映されたのだ。
二時間に渡る話は45分に編集されていたが、論点は外していなかった。
世論におもねってしまったために過剰になったカリキュラム、そのために、教師も生徒も無駄に神経・労力・時間が取られていることは、放送局が用意したフリップやテロップなどでも補強されていた。
喋れる英語教育が必ずしも必要ではないという栞の意見は、視聴者には新鮮に聞こえた。重要な発言の時には過不足のないアップや、アングルで栞と梅沢を撮るだけでなく、一見無反応と感じていたMNBの榊原聖子が「うん」「なるほど」などとリアクションしているところも逃してはいなかった。
「わたしたちアイドルって、ザックリ目標を与えられるんです。で、レッスンの中で、ダンスや歌の先生達が、わたしたちを見て、具体的な指摘や、個人に合った目標とレッスンが与えられます。とっても指導がシンプルで的確ですね。ええ、わたしたちには無駄はありませんね」
「手島さんの話は、今の時代に蔓延している曖昧さがありません。主張にしろ、質問への答えにせよ、まっすぐ無駄なく答えてくる。セリナさん気づきました? あの子は、語尾を上げるぶら下がるような話し方をしない。それでいて生意気じゃないんですよね。知性と論理性、幼さと美しさが同居している。お尻事件で、どんな子だろうと思っていましたが、話をして、その両極があの子の中に同居している自然さを……うかつにもこの十七に満たない少女のなかに「志」を感じてしまった。僕には、この人との対談そのものが事件でしたね」
二人の後撮りのコメントまで入っていた。
生徒達の反応も、おおむね好意的だった。もっともアイドルの聖子の意見に引っ張られているところが大きいが、放送局のやることに珍しく納得した乙女先生であった。
「……以上の理由により、梅田、湯浅、中谷の三先生は書類の通り停職。その後、教育センターで半年の研修に入っていただきます。また、梅田、湯浅両先生につきましては、道交法の進行妨害、威力業務妨害、傷害により係争中でありますので、判決によっては、処分・指導内容に追加が加わることもあります。わたくし学校長は、監督・指導不十分で減給三ヵ月、戒告であります。また、第三者を交えた学校改革委員会が発足することになったことを申し添えておきます」
今日は45分の短縮授業で、放課後は臨時の職員会議になり、栞の問題に関する府教委の処分と、学校運営のための助言が伝えられた。
「なにか、この件についてご質問、ご発言はありませんか?」
議長が事務的にみなに質問した。みなが俯いた沈黙の中、乙女先生が一人手をあげた……。
栞は、さくやと二人で中庭のベンチに足を投げ出して座っていた。
「今やってる職員会議で決まるんですね……」
「なにが決まるのよ」
「えと、先生らの処分とか……」
「なんにもならないわよ、そんなこと」
「そうですか……」
さくやは、伸ばした脚をもとにもどして姿勢を正した。といって、なにか思いついたわけではなく、今年にになって初めて見る黄色いチョウチョに気が取られたのである。
「やあ、黄色いチョウチョや!」
「え?」
「その年の一番最初に見たチョウチョが黄色やったら、その年は幸せな一年になるんやそうですよ。ラッキー!」
「それ、『ムーミン』に出てくるお話ね」
「へー、そうなんや!?」
「そうだ、ちょっと待ってて」
栞は、側の食堂の自販機で、ジュースを買いに行った。
「言うてくれはったら、うちが行きましたのに」
「勝手に決めたけど。さくやちゃんオレンジね」
「はい、うち柑橘系好きなんです!」
「それ、半分飲んで」
「はい、喜んで」
さくやは、計ったようにオレンジジュースを半分飲んだ。
「半分になったオレンジジュースを、さくやはどう表現する?」
「はい、まだ半分残ってる……」
「大正解!」
そして、栞はまるまる残っているコーラを、さくやは半分のオレンジジュースで乾杯した。
「さくやが『半分しか残ってない』って言ったら、即、演劇部解散しようと思っていた」
「えー、そうやったんですか。よかった正解で!」
「まだ半分残ってるってポジティブさが、わたしたちには必要なのよ」
「はい」
「たった今まで、コップの中に閉じこめられていたオレンジジュースとコーラは、二人のお腹に収まって、やがて……」
「おしっこになります!」 さくやが気を付けした。
「あのね、その前に体に吸収されて、わたしたちの力になるのよ」
「はい」
「ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した」
「発見した!」
「手島栞は、コップのコーラが空になるのを見て、高校生の力を発見した!」
「発見!……どういう意味ですか?」
「コップの中で、グズグズ悩んだり、チマチマ考えるのは止め! わたしは、コップを飛び出すの!」
そうカッコヨク決めたところで、「ゲフ」っとオッサンのようなゲップが出た……!