明神男坂のぼりたい
今日は、ナポレオンの結婚記念日。
なんで、そんなこと知ってるか……明菜が電話してきたから。
なんで、明菜が電話してきたら、ナポレオンの結婚記念日と分かるか。
「ナポレオンの結婚記念日だから、会わない?」
と、明菜が誘ってきたから。
なんで、こんな、妙な誘いかたをしてきたか言うと、明菜とは、しばらく疎遠だったからだと思う。
明菜は中学の同級生。
高校は同じTGHだった。で、ほどほどの友達だった……けれど、明菜は一学期だけで、学校辞めてしまった。
ウワサでは、先生(誰とは分からないけど)と適わなかったから。高校では、クラスも違ったし、話す機会も無かったので、それっきり。絵に描いたような『去る者は日々に疎し』だった。
その明菜が電話してきて「会って話がしたいんだけど……」だよ。
あたしは、なんの気なしに「なんで?」と聞いてしまった。
すると、その答が「ナポレオンの結婚記念日だから」だった。
ネットで調べたら、ホンマにナポレオンの結婚記念日だったからビックリした。
もともと勉強できる子だったけど、とっさに、そんなのが出てくるのは、さすが明菜だと思った。
「ねえ、なんで明菜会いたがってんだろ?」
馬場さんの明日香に聞いても、お雛さまに聞いても、アンネに聞いても答えてくれない。やっぱり、この三人が、喋ったり動いたりするのは、特別な時だけみたい。
明菜の家は、神田川を挟んだ南側にある。
聖橋を渡って、ちょっと行くと、このあたりのランドマークのニコライ堂。
そのニコライ堂の裏にある、千代田区では珍しい日本家屋のお屋敷。
友だちなんかに「うちはニコライ堂の裏です」と言うと、それを知ったお爺様が「ニコライ堂が、うちの裏だ」と注意するくらい、古くから……たぶん、江戸時代から続いてるお家。
一回だけ遊びに行ったことがあるけど、敷地だけでうちの八倍以上。お家も、それに見合う豪勢さ。庭だけでもうちの家の敷地の倍ぐらいありそうだった(^_^;)。
明菜との疎遠は、この豪勢さにある。
うちは、もうそのころは両親共々仕事辞めて、定期収入が無くなっていた。お父さんは「明日香は作家の娘なんだぞ」なんて言うけど。収入が無かったら、経済的には無職と同じ。
それで気後れして、あたしの方から連絡することは無かった。
だから、明菜が学校をOGHに決めたときはビックリした。あの子の内申と偏差値、それに経済力なら、もっといい高校行けたはず……。
パンパン
いつもより、念入りに明神さまに二礼二拍手一礼のご挨拶して、聖橋のたもとで明菜と待ち合わせ。
「ボチボチの天気ねえ……」
「そだね……」
ほぼ一年ぶりの友達の会話としては、なんともたよりない。
しばらくは、黙って外堀通りを歩いた。
「もう、半月もしたら、桜も咲いていいのになあ……」
あたしの何気ない一言が明菜を傷つけた。
明菜は、唇を噛みしめたかと思うとポロポロと涙を流した。
「ごめん。あたし、なにか悪いこと言ったかな……」
「ううん、明日香は、なんにも悪ない。わたしが、切り出せないから……」
「……ちょっと、座ろっか」
気が付くと学校の前まで来ている。道を挟んだ、こっち側には生徒たちの間で『テラス』と呼ばれている川沿い公園みたいなのがあって、そこの花壇の端に並んで腰かける。
「うちの親、離婚するんだ」
「え……」
イキナリなにを!?
「事情は、よく分からない。ケンカしたわけでもないし、浮気でもない。なにか、発展的な離婚だって、お父さんも、お母さんも涼しい顔してる。そして、気楽に『明菜はどっちに付いていく?』だって。あたしのこと置き去りにして……バカにしてるわ!」
最後の一言が大きい声だったので、ご通行中の学生さんがビクッと振り返る。
それに愛想笑いして間を持たせると、明菜が続ける。
「どっちに付いていっても、あの家は出ていかなくちゃならない……せっかく過年度生で千代田高校受かったのに」
複雑に驚いた。
明菜は、東京で偏差値ベスト3の千代田行けるほど頭良かったんんだ。そして、羨ましいことに関根先輩と同じ学校。なんで、去年は格下のTGHなんか受けたんだろ。そして、なんで、学校辞めたんだろ。なんで、あたしなんかに相談するんだろ……。
「わたし、一番気の合ったのは明日香なの。友達少ないから、相談できるんは明日香しかいなくて……」
もう一度ビックリした。
こんなに恵まれて、美人で、勉強もできて……で、友達があたし?
わたしは、自分のことが、よく分からない。馬場さんが、あたしをモデルに絵ぇ描いたことよりもびっくり!
「明日から、うちの家族……もう家族て言えるようなもんじゃないけど。離婚旅行に行くの」
「り、離婚旅行!?」
頭のテッペンから声が出てしまった……。
※ 主な登場人物
鈴木 明日香 明神男坂下に住む高校一年生
東風 爽子 明日香の学校の先生 国語 演劇部顧問
香里奈 部活の仲間
お父さん
お母さん 今日子
関根先輩 中学の先輩
美保先輩 田辺美保
馬場先輩 イケメンの美術部
佐渡くん 不登校ぎみの同級生
巫女さん
だんご屋のおばちゃん
明菜 中学時代の友だち 千代田高校