鳴かぬなら 信長転生記
「ねえ、豊盃まで行こうよ」
眉庇にした右手を下ろしてシイ(市)が言う。
陽のあるうちに主邑の豊盃まで行こうというのだ。
「今夜は、酉盃で宿をとる」
「どーして? 今から行っても充分日のあるうちには着けるよ」
「豊盃には続々と増援の部隊が入っている」
「そりゃそうでしょ、戦争をやろうって言うんだから」
「兵隊は夜になったら寝るし、飯も食う」
「軍隊って、自己完結してる組織だから、泊りも三度の食事も自前でしょ?」
「一万の軍隊なら、それと同数以上の輸送部隊やら工作部隊やらが付いている。上級将校は露営ではなく市中の宿に泊まるだろうから、普通に行っては泊まれるところが無い」
「そうなの?」
「ああ、だから、まず宿を確保しておこう」
酉盃の中心部を離れ、酒楼や飯店の看板を掛けている店を物色する。
「なんで、酒とか飯のつくとこなの?」
「三国志の宿泊施設は『宿』とは書かん」
「そなの?」
「ああ、宿と飲食店の境はあいまいなのだ。こちらの人間なら店構えで見当をつけている」
プオ~ プオ~
「なに? 象でも逃げて来た?」
「警蹕のラッパだ、重要人物か重要物資の輸送だ、端に寄るぞ」
「うん」
「こら、シイ!」
返事はいいが、生まれついての野次馬は防火用水桶の上に乗る。
他にも街路樹や店先の荷の上に乗ってるやつもいる。争って目立つのもまずい。
「せめて顔を隠せ」
「分かった」
いちおうスカーフを撒いて顔の下半分を隠した。
プオ~ プオ~
行列は、すぐそこまで迫ってきた。
どうやら輸送部隊のようだが、それにしては大仰で厳めしい。
いつの時代、どこの軍でも、輸送部隊と云うのは地味なもので、言ってみれば格下の扱いを受けている。
それが、なんだ、旗指物に馬印……まるで、御大将の近衛部隊のようだぞ。
「さすがというか……」
「やっぱり、曹素さまよのう」
「輜重がついても大将じゃ」
「なんとも、ネズミがクジャクの羽根を付けたような」
「「「アハハハ」」」
「めったなことを! 総大将の兄君だぞ」
「おお、くわばらくわばら~」
そうか、寄せ手の大将は曹一族の誰か。その兄というのが、この輸送部隊の指揮官……野次馬どもが言うまでもなく、この輸送部隊に似あわぬ派手さ、いささか馬鹿か?
「ねえ、輜重(しちょう)というのは、そんなに蔑まれるものなの?」
「俺は、そうは思わんがな。輜重(輸送部隊)は実戦部隊ではないので、軽んじられる傾向はある」
「そなの?」
「こんな囃し歌があった『輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ・トンボも鳥のうち』ってな」
「ひどいね」
「ああ、織田軍では禁止した」
「ほお」
「なんだ?」
「なんでも……あ、なんか、すごいのが来る!」
「「「おお!」」」
野次馬どもも唸って、その先を見ると、四頭立ての華麗な戦車が、御者一人だけを乗せただけで現れた。
「曹素さまが先導されてる」
「戦車の露払いか」
「おい、笑うな」
戦車の前には、芝居の主役なら立派に大将が務まりそうな……しかし、戦慣れした俺の目から見るまでもなく、腰が落ち着いていない。目線もキョロキョロした見っともない奴……これが総大将の兄の曹素というやつか。
「ね、あの御者、女の子よ」
「うん?」
たしかに、朱色の具足に身を包んでいるのは市と変わらぬ年ごろの少女だ。
戦車も、御者に合わせたように朱色に金の金物が随所に打ち付けられ、見るからに女性的。
「総大将は……おそらく女だな」
「女なの?」
「ああ、そうだぜ」
耳ざとい野次馬が相槌を打つ。
「こんど入れ替わったのは、曹素さまの姉君で曹茶姫(そうさき)てっいうお方だ。実物にお目にかかれるかと思ったんだがなあ」
「空車かよ」
「智謀比類なきお方ってことだから、我々凡夫にはうかがい知れん動きをされているんだろう」
「兄貴とは大違い」
「おいおい……」
まさか聞こえたわけではないのだろうが、曹素の首がこちらを向いている。
「おい、シイ!」
「なに?」
「あ、ごめん」
慌てて下がったスカーフを引き上げる。とたんに曹素の首が戻った。
すぐに、その場を離れて、今度こそ宿を探しに行くことにした。
☆ 主な登場人物
- 織田 信長 本能寺の変で討ち取られて転生
- 熱田 敦子(熱田大神) 信長担当の尾張の神さま
- 織田 市 信長の妹
- 平手 美姫 信長のクラス担任
- 武田 信玄 同級生
- 上杉 謙信 同級生
- 古田 織部 茶華道部の眼鏡っこ
- 宮本 武蔵 孤高の剣聖
- 二宮 忠八 市の友だち 紙飛行機の神さま
- 今川 義元 学院生徒会長
- 坂本 乙女 学園生徒会長