メタモルフォーゼ
ここまでやるとは思わなかった!
ツルツルに剃られた足がヒリヒリする。なけなしの産毛のようなヒゲまで剃られた。
なによりも、内股が擦れ合う違和感には閉口した。
なんというかクラブのディベートに負けてオレは女装させられている。
ワケはこうだ。コンクールを目前にして、わが受売(うずめ)高校演劇部の台本が決まらない。そんな土壇場に、やっと顧問の秋元先生が書き上げた本にオレはケチを付けてしまったのだ。
他の部員は、先生の本がいい(本当のところは、なんでもいいから、とにかく間に合わせたい)ので、反対はオレ一人だった。
オレが反対したのは、作品がウケネライだからだ。これが喜劇のウケネライなら、多少凹んだ本でも反対しない。
でも、タイトルも決まっていない秋元先生の本をざっくり読んで、このウケネライはダメだろうと思った。
震災で疎開した冴子。冴子は必死で津波に抗っているうちに妹の手を離してしまう。妹はそのまま流されてしまった。それが、冴子のトラウマになり、疎開先で妹の姿を見るようになる。むろん幻だ。
妹の幻が無言で現れはじめてから、ある男の子と仲良くなって、疎開先で少ない友だちの一人になる。やがて、その子にも妹の姿が見えていることが分かる。
「実は、ぼくは幽霊なんだ。交通事故で死んだんだ。冴子ちゃんに見えているのが幽霊か幻か、ぼくには分からない。でも、これは言える。冴子ちゃんが妹を殺したんじゃない。震災も交通事故も事故死ということでは、ぼくも冴子ちゃんの妹も変わらない。だから、そんなに気に病むことはないよ」
そう言うと、男の子と妹はニコニコしながら、消えていく……ファンタスティックな大団円。
オレが反対したのは、交通事故と、あの震災で死んだのは……うまく言えないけど。違うと思ったからだ。
秋元先生の本は、最初に和解によるカタルシスがあって、そのための材料としてしか震災を捉えていない。だから読み終わって後味が悪かった、これが反対の理由。
カタルシスを得んがためのウケネライはダメだろうと思った。そのために震災をもってくるのはもっと悪い。
また、変な験担ぎかもしれないけど、秋元先生はフルネームで秋元康という。そうAKBのドンと同姓同名。で、去年も先生の本で県大会までいった。「作:秋元康」のアナウンスではどよめきが起こったぐらい。
「まあ、みんなで話し合えよ」
先生は、そう言って職員室に戻ってしまった。
で、ディベートみたくなって、「負けたら女装して、女子の場合は男装して、校内一周!」と言うことになった。
で、6:2で負けてしまった。
勝ったのは全員女子。もう一人の杉村という男子はガタイがデカく、用意した女子の制服が入らない。それに一年生なのでおとなしくオレが引き受けることになった。
オレにはこういうところがある。いちおう自己主張はしてみるものの、もうダメだと思うと、焼けたフライパンに載せた氷のように自分を失ってしまう。五人姉弟の末っ子で、十二も年上で早くから家を出た兄の進一を除いて上三人が姉という環境のせいかもしれない。
「ひとのせいにしないでくれるう!」
姉たちに言われては引っ込んでしまう平和主義のせいかも。
で……こういうとき、女子というのは残酷なもので、目に付くむだ毛は全部剃られてしまった。髪もセミロングのウィッグ。カチュ-シャまでされて、もう、どうにでもしてくれという気持ち。
「あ、これって優香のじゃん……」
「当たり前じゃん。自分のって貸せないわよ」
ヨッコが言うと、杉村以外、みんなが頷く。
上着を着せられるとき、身ごろ裏の名前で分かった。優香は、この春に大阪に転校。制服一式をクラブに蝉の抜け殻のように置いていった。身長は同じくらいだったけど、こんなに適うとは思わなかった。
「あたしが後ろから付いていく。ちゃんと校内回ってるの確認」
「「「「トーゼン!」」」」
女子の声が揃った。
部室を出て、いったんグラウンドに出て、練習まっさかりの運動部員の目に晒される。
「そこのベンチに座って」
意地悪くヨッコが言う。チラチラ集まる視線。自分でも顔が赤くなるのが分かる。
「次ぎ、中庭」
あそこは、ブラバンなんかが至近距離で練習している。正直勘弁して欲しかった。
でも、中庭のブラバンは秋の大会のために、懸命なパート練習の最中で、女装のオレに気づく者はいなかった。同級の鈴木がテナーサックスを吹きながらスゥィングしていた。
「後ろ通る」
ヨッコは容赦がない。
鈴木の後ろは桜の木があって、隙間は四十センチも無かった。
あに図らんや、やっぱ、鈴木の背中に当たってしまった。
「ごめんなさい!」
頭のテッペンから声が出た。
鈴木は怒った顔でこちらをみて、そして……呆然とした。後ろで、ヨッコが笑いをかみ殺している。
「次ぎ、食堂行ってみそ……」
「え……」
こんなに食べにくいとは思わなかった。
髪がどうしても前に落ちてくる。ソバを音立てて食べるのもはばかられた。ここでも帰宅部やバイトまでの時間調整に利用している生徒が多く、視線を感じる。中にははっきりこっちを見てささやきあっている女生徒のグループもいる。
「カオルちゃん、食べにくそうね」
ヨッコがニタニタ笑いながら、前髪を後ろでまとめてくれる。これは断じて親切ではない。完全なオチョクリである!
「次ぎ、職員室」
「ゲ!」
どうやらヨッコは、仲間とスマホで連絡を取り合い、仲間は分からないところから観賞して、指示を出しているようだ。
職員室の前には芳美が待っていた。
「部室閉めたから鍵返してくれる。荷物とかは、あの角で他の子が持ってるから」
「さあ、行って」
ヨッコが親指で職員室のドアを指す。芳美がノックして作り声で言う。
「演劇部、終わりました。鍵を返しにきました」
部室の鍵かけは教頭先生の横にある。なるべく顔を伏せていくんだけど、ここでも惜しみない視線を感じる。
なんとか終わって「失礼しました」と、囁くような声で言う。で、ドアを開けると、なんと顧問の秋元先生。
「うん……?」
万事休す。ヨッコたちはカバンとサブバッグだけ置いて影も形もない。
秋元先生は、幸いそれだけで職員室に入った。
もうトイレで着替えるしかない。
男子トイレに入ろうとすると、まさに用を足している三年生と目が合う。きまりが悪くなって、今は使っていない購買部の横に行く。
そこで気がついた。カバンまで優香のと替えられていた。
そして、あろうことか、オレの制服が無かった……!?
つづく