あるきメデス

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ぐるり一周葛飾探見歩行⑤(東京)

2008-12-23 22:51:19 | 江戸・東京を歩く
 2008年12月23日(火・祝)

 天皇誕生日の今日、やまさんが葛飾区内を10回に分けて順次回
る、「ぐるり一周葛飾探見歩行」の第5回目に参加した。



 集合は、JR常磐線亀有駅。亀有といえば、「週刊少年ジャンプ」
で1976年に連載を開始して以来、全国の人々に愛され続けている、
「こちら葛飾区亀有公園駅前派出所」の舞台である。

 主人公の両津勘吉像が駅周辺に3つあるという。まず北口にある
右手を挙げた両津勘吉像を見てから、南口に回る。 

 南口の本物の交番横にある「両津勘吉 祭り姿像」の前で並んだ
ら、交番から警官が出てきてシャッターを押してくれた。

 集まったのは老若男女?とりまぜた多彩なメンバー11人。

 駅から南に少し、亀有郵便局近くの5差路にも、「少年両さん像」
があった。


 旧水戸街道の上宿から一里塚跡を経て、曳舟川親水公園に出たとこ
ろに、本格的な手打ちそばの店「やざわ」がある。

 この店には8月27日に、やまさん、Hさんと入って昼食をした。

 曳舟川は、江戸幕府が明暦3年(1657)の大火の後、本所・深川
方面の新市街地へ飲料水を供給する目的で開削された水路で、水
源は、瓦曽根溜井(現在の埼玉県越谷市)だった。

 上水の廃止後、篠原村(現四ツ木)から亀有村までの28町(約3
㎞)の水路を利用して「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上
から長い綱で肩にかけて曳くことが始まり、「曳舟川」と呼ばれるよ
うになったという。

 帝釈天参りや水戸街道に出る旅人が利用した曳舟は、江戸東郊
の風物として人気を呼び、多くの紀行文や初代広重の「名所江戸
百景」などに画かれている。 

 曳舟川親水公園は、もとの曳舟川沿いの歩道で、何か所かに東
屋(あずまや)やトイレなどを設けて公園にしてもので、亀有4丁目
から南に3㎞くらい続いている。

 一部には流れも復活し、ビオトープも設けられていた。

 親水公園沿いにあった店。ワンちゃんも入って一緒にお茶を飲め
る?という愛犬家にはうってつけの店らしい。


 親水公園が6差路となるあたりで西に向かい、そばの上千葉砂原
公園に入った。


 園内北東の隅に、D51502が保存されていたが、一部塗装が
はげ落ちていて、保存状態が良好とはいえないのが残念だ。

 このSLは、昭和16年(1941)に国鉄鷹取工場で製造され、奈良、
広島、新鶴見、新津、直江津などの各機関区管内を走り、酒田機関
区で昭和47年(1972)1月に廃車となり、2か月後にこの公園に
保存することになったとのこと。

 走行距離数は、地球を47周に近い約187万7千㎞に及んでいる
という。

 公園の一角に「ふれあい動物広場」もあり、子どもたちがポニーに
乗ったり、モルモットなどの小動物をだっこしたりできるようになって
いた。


 公園の北側には、東京二十三区内では珍しい都立農産高があり、
敷地の隅でアシタバが大きく育っていた。

 上千葉砂原公園の西に伸びる、西亀有せせらぎ公園に入ると、
南米の楽器を演奏している人がいた。

 和楽器の笙(しょう)のようなのはサンポーニャといい、芦の筒を
使っているとのこと。演奏しているのは、竹で自作したケーナだと
いう。

 「せせらぎ仙人」と自称するこの方は、区内に住むサラリーマンで、
土日にここで演奏を楽しんでおられるとのことだった。

 さらに西に続くせせらぎ公園は、イチョウ並木が続いていた。

 かつて、この地は水田を中心とした農耕地で、そのかんがい用水
路や排水路だったところがこの西亀有せせらぎ公園になっている。
 
 東西に延びる亀有せせらぎ公園の西端まで行き、少し先を回って、
北に伸びるもう一つの亀有せせらぎ公園に入った。

 「カンタンの里」と記された一角があり、ほんのわずかなあし原に
「鳴く虫の女王」と呼ばれるカンタンが生息して、晩夏から秋にかけて
きれいな音色を聞かせてくれるという。


 北端まで進み、左折した西側は藤塚西公園。正午近いので、ここ
で昼食とする。少年2人は上で、私は下の段で食べた。


 昼食後は、さらに西の西亀有二丁目へ。JR常磐線の線路の北に
ある都立葛飾ろう学校のそばから古隅田川緑道を進む。もとの川の
流れに沿ったカーブが続いていて、一部は流れが見えている。

 古隅田川は16世紀まで利根川の流末のひとつで、広大な河川敷
だったようだが、利根川が江戸に氾濫を及ぼすために、江戸時代初
期から改修され、江戸川を経て現在の流路に付け替えられた。

 のち、旧河道の古利根川が中川として新宿(にいじゅく)から南流
すると、それまで西流して隅田川へ注いでいた河道は干上がり、河
底部が大きく蛇行して残った。これが古隅田川だという。

 緑道を南に進み、堀切八丁目の香取神社に入った。
 

 別の流れの跡らしい緩やかなカーブの「青葉ふれあい通り」から、
堀切七丁目を都立葛飾盲学校のそばまで進み、小菅三丁目の住宅
地を北に抜け、小菅四丁目の連昌寺に行く。

 境内はかなり広くて木々も多く、山門や鐘楼もあり、かなりの歴史
を持つ寺院らしい。

 綾瀬一丁目と二丁目の間を北に進み、13時50分に亀有の西隣、
綾瀬駅に着き、散会となった。

 今回は、古くからの民家はほとんど見られず、第2次大戦後に増え
たと思われる住宅街だったが、親水公園や緑道が多く、休日という
こともあるのか交通量も少なく、散策によいエリアだった。

 (天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 草加、歩行地 葛飾区)

 
 
コメント
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