あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

熊野古道中辺路を歩く⑪(滝尻~紀伊田辺駅)〈続き〉

2008-12-11 21:28:25 | 熊野古道を歩く
 2008年10月31日(金)〈続き〉



 昼食を終え、背後の王子谷越をしようと、標識の方に向かったが、
住宅に入り込み、イヌが吠えるのであきらめ、国道の稲葉根トンネル
(423m)を通過した。


 トンネルの先の十字路で国道に分かれて右折し、県道35号に入
る。射矢ノ谷の田中神社には、南方熊楠が命名したというオカフジ
と呼ぶフジの古木が数本と、クスノキの大木があった。


 県道の東に並行する旧道を進み、八上(やかみ)王子へ。老杉数
本など、うっそうとした森の中に社がある。

 当時は桜があったのか、八上のさくらを歌った西行の歌碑がある。


 県道に上がって新岡坂トンネル(340m)を抜けると、歩道が無く
なり高速で通過する車が危険。埴田から左会津川の左岸沿いを岩
屋谷集落へ回り、草道を上がって三栖(みす)王子跡に行く。

 石碑と道しるべ、ここを歌った万葉集、額田王の歌碑だけだが、
高台なので北方の展望がよい。


 すぐ先の高台にあった報恩寺に寄る。本堂の前に日本一という大
きなソテツがあり、本堂の背後を巡る西国三十三観音のミニ霊場
や、賽の河原地蔵尊、大岩の上に立つ石塔など、見どころが多い。


 県道35号に戻って反対の北へ少し入り、国史跡に指定された三
栖廃寺搭跡に寄る。7世紀後半の白鳳時代の創建とされ、法隆寺
式の伽藍配置で、寺域は約100m四方あったと推定されるという。

 三重塔と推定される基壇と礎石が復元されていた。


 一帯は梅林が多く、県道際の万呂(まろ)王子跡は標識だけだった。


 橋を渡って県道を離れ、左会津川の左岸を進む。天王集落で県道
に戻り、急な石段を上がって須佐神社に参拝する。境内は常緑広葉
樹が豊富だった。


 目座から新田にかけては新興住宅地を抜ける。新田の会津小の
隅に、国土地理院の地図造りの基本になる電子基準点があった。


 NHKラジオのアンテナ塔の交差点を左折すると秋津王子跡だが、
ひとつ手前の通りを入って見つからず。行き戻って田んぼの隅にあ
る石碑と説明板を確認する。

 ここも、田辺側の角には標識があるが、滝尻方面からの角には標
識が無い。逆行する人は少ないらしい。

 日暮れて薄暗くなった。右会津川沿いに出て左岸の車道を急ぎ、
国道42号の高架下を過ぎる。二つの会津川の合流点の小公園に
も、秋津王子の説明板がある。

 この付近は洪水で川の流れが変化して、王子社は何度か移され
たらしく、現在は旧地を確定することが出来ないようだ。

 田辺の市街地の一角、八幡町に入ったら雨となり、折り畳み傘を
出しザックカバーをかける。踏切を越え、紀伊田辺駅前に17時5分
にゴールし、今回の熊野古道中辺路の歩き旅を終えた。

 駅前の大通りを5分ほどで、今日の宿、アルティエホテル紀伊田辺
に入った。

[コースタイム]滝尻7・20ー清姫の墓7・57~8・05ー国道の橋下
横断8・53ーのごし橋(定家歌碑)9・26ー住吉神社9・49~10・02
ー鮎川王子10・13~20ー一ノ瀬王子11・15~21ー稲葉根王子(昼
食)12・05~45ー田中神社13・11~17ー八上王子13・29~37ー
三栖王子14・12~22ー三栖廃寺搭跡14・53~58ー万呂王子15・10
~12ー須佐神社15・35~37ー会津小15・55ー秋葉王子16・22ー合
流点の小公園16・40~42ー紀伊田辺駅17・05

(天気 晴曇後雨、距離 24㎞、地図(1/2.5万) 栗栖川、紀伊田辺、
 歩行地 田辺市(旧中辺路町を含む)、歩数 47,300)
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