あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

箱根ロープウェイ保存搬器

2013-07-17 23:49:50 | 60年代

箱根湯元を通り小涌園の分岐を右に進む。

目指すは姥子。

車の通りは少ないのでコルト1100でも後続車を気にせず走れる。

箱根ロープウェイの姥子駅に向かう。

ここには初代のロープウェイの搬器が残されており数年前に彩雲隊で見に行ったが

その後二代目も追加されたという。

二代目が追加されていました。(左側)

2005年5月 この時はケーブルの掴み具合が分かるようになっていました。

 

現在のようす。

これが箱根ロープウェイの初代ゴンドラです。

割れてしまっていますがこの電球?は何だったのでしょう?

 中の塗装がちょっといい加減に補修されています。

右は室内灯でしょうか。

非常時用に無線もあったようです。

そのアンテナ跡。

トップナンバーの101号。

いろんなドラマがあったのでしょう。

 

 

しかし熱海某所には今も「当時のまま」初代搬器が残っている。

 

しぐなすさん宅に保存されている箱根ロープウエイ初代搬器。

イラストがカワイイ!

塗装は当時ものです!

105号車です。

 

姥子では失われている部品がいまも残っている。

室内灯?にはスイッチがあったのですね。

 

無線アンテナも健在ナリ。

本来はオレンジの灯火が付いていたのね。

物置として使われておりますが貴重な存在です。

 つづく

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【終】いすみ鉄道イベント参加 16 ハイウエー時代

2012-02-06 01:22:31 | 60年代

いすみ鉄道イベントレポートもやっと最終回。

あまりにも濃い二日間だったので帰りのフェリーボートの中で

「これをブログに書いたら20話位になるんじゃないか」

などと笑っていたが16話までいくとは思いませんでした。

ダレても来ましたが皆さんのコメントで励まされました。

さて

フェリーボートから降りてどこかで夕飯を食べようとドライブインならぬ

ファミレスに入り歓談。

ベレットには国吉→金谷まで波さんが助手席に乗り

久里浜からファミレスまではさまひさんが乗りました。

2人の共通した感想は

「同じ年代の車なのに乗り心地も走り方も全く違う」

との事でした。

ベレットは3速コラム

コルトは4速コラムでして前にも書きましたが

「一速三寸(ロー半転がしとも言う)」

 『一速は発進しか使わないから少しでも車動いたら二速にシフトアップせよ』

と、コルトに乗った時に父からの教えですぐに二速に入れていました。

しかし三速の場合は一速、二速で引っ張るそうです。

乗り心地はコルトの助手席に乗ったあきひーさんも

「ずいぶん柔らかい」

http://blog.livedoor.jp/bellett_saloon/archives/51834908.html

と感じたようです。

確かにコルトの助手席は

「フワフワですね♪」とよく言われます。

しまった、いすみ鉄道のイベント時にベレットの助手席に乗せてもらえば良かった 

それに内装の写真を撮らせてもらうのも忘れていた

さてそろそろ帰りますか。

楽しいドライブも終わりが近づいてきた。

2台は横浜横須賀道路入り口を目指す。

そして空いたハイウエーを私達は走った。

細いハンドルを握り先行するベレットのテールを眺める

オレンジの輝きを受けて先行するベレットサルーン

まもなくこのイベントも本当に終わる

一抹の寂しさを感じていた

この時間この道路を走る車はあまりいない

バックミラーを確認し

右足のアクセルペダルを踏みこむ

ウインカーを右に出しゆっくりとベレットを追い越した

左に白い車体が流れて行く

(さまひさん撮影)

すぐさま左のレーンに戻る

 開通間もない首都高ではこんな事が繰り返されたのだろうな

昭和37年12月20日 読売新聞より

抜きつ抜かれつで走るのが楽しい

だが・・・

「抜きつ抜かれつ」走るのをどうやって運転しているあきひーさんに伝えればいいんだ?

帰り方向の関係で波さん、安全体操さん、さまひさんはコルトに乗っているが

ベレットには運転しているあきひーさんしかいない

 「さっき聞いた電話番号で

 運転しているから出られないでしょ・・・

いかん!これではまるで

「ノロノロ走っているんじゃないよ

と強引に抜かした『ただの感じの悪い人』じゃない

キャ~

ど、どうするんよ~

しかたなく速度を落としながら窓を下げて右手を出し

 先に行って欲しいの

 嫌がらせで抜いたんじゃないの

 お願いだから今度は私を追い越して~

と念じながら右手を前に数回倒す

理解してくださったようでベレットの白いウインカーレンズが灯り再び抜いていく

昔のニュースフィルムで見た首都高開通の時みたい・・・・

(NHKニュース映像より--車は三菱コルト1000)

 

乗り心地も走り方も違うがやっぱり同じ匂いのする車同士だ

私が降りるインターが近づいてきた

 もっと一緒に走っていたい

そう思いながらリングホーンに指を掛けて警笛を鳴らす

あきひーさんがこちらを見て笑った

 『サヨナラ・・・』

白いベレットは徐々に小さくなり、そして視界から消えていった

あのハイウエーでコルト1100をパスしたベレット1300セダンは

私達の二日間を最後まで「昭和」にしてくれたのだ。

おわり


 

イベントが終わって二ヶ月が経ち

やっとレポート?が終わりました。

あのイベントに呼んでくださったまにまにカレチさん

夢のような夜行バスに乗せてくれた運転手さん、車掌さん

いすみ鉄道キハ52入線一周年イベントスタッフの皆さん

そして写真を撮ってくれた、さまひさん、てっちんさん

本当にありがとうございました。

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いすみ鉄道イベント参加 12 国鉄国吉駅にて

2012-01-29 20:44:35 | 60年代

バスと別れて田んぼで待つ。
今回は私達も車を離れて見学。

↑ ↓ さまひさん撮影(素晴らしい!)


車内からのようす

てっちんさん撮影

そして国吉駅に戻る。

日産グロリアがいました。

白い車体とは珍しいです。黒か銀のイメージがあります。

シャコタン月目仕様にされる固体が多い中、とてもキレイなグロリアで品を感じます。

国鉄のディーゼルカーではタブレット交換が行われていました。(てっちんさん撮影)

模擬店が出たり国吉小学校のブラスバンドの演奏が披露されておりのどかな雰囲気の中で弁当を食べる。

このブラスバンドの演奏はとても良かったです。

昼過ぎから波さんも列車で到着して合流。


ボンネットバス以外の旧車でも体験試乗が行われ4〜5台で隊列を組み希望者をお乗せして国吉駅周辺を走り回る。
私の車にも乗りたいと言って下さる方もいて楽しく走り回ってきました。


かつての江戸東京たつもの園のイベントを思い出した。
諸事情で車イベントは出来なくなり残念だったが
ここでまた同じ事が出来るとは。
あの時もまにまにカレチさんに誘ってもらったのだった。

まにまにカレチさんのケサブローと久しぶりに並ぶ。 

さて今回のイベントでは
「スポーツカー、GT系」がいません。
ここに箱スカGTRやフェアレディZ等は似合いません。
セダンでも車高の低いムーン系とかもちょっと。
地味なノーマル車ばかり集まったのが良かった。

そんな車達を眺めていると
「彩雲さんですか?」
と声を掛けられた。
つづく

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東京モノレール100形 三丁目の夕日’64

2012-01-27 15:18:39 | 60年代

映画「三丁目の夕日’64」とのタイアップ商品としてセブンイレブンから

「想い出の車両」がチョロQで発売されています。

私は別にチョロQとかは興味がないので普段ならスルーなのですが

東京モノレールの初期型が含まれていると知り買いました。

4つ目(笑)にやっと『当たり?』ました。

このお顔と色使いが好きなんです。

大好きなドリーム交通モノレールのライバルなんですけどね。

(東芝式 対 日立アルウェーグ式)

しかし・・・

あれ・・・?

東京モノレールの初期塗装は屋根の中央が赤く塗られているはずなんですが・・・

当時のパンフ

う~ん・・・ 現在モデル化される事はないと思っていたので

手に入っただけ良しとしましょう

因みに映画の中で東京モノレールが出てくるわけではありません。

「昭和39年」に営業開始となったのでリストに入れたようです。

限定商品のようなので欲しい方はセブンイレブンへ。

 

ALWAYS 三丁目の夕日'64 - goo 映画

 

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いすみ鉄道イベント参加 11 第4種踏み切り

2012-01-26 07:53:12 | 60年代

旅の途中ですが小樽のホテルより更新です.


 

再びバスの後に付いて大多喜駅を出る。

今度はまにまにカレチさんのマツダK360が前にいます。

K360より見た走るコルト。さまひさん撮影 

着いた所は遮断機、警報機のない踏み切り。

ここで車を配置しキハ52と一緒の写真を撮ろうというわけ。

↑さまひさん撮影(この角度のコルトいいなぁ)



但し、車内に運転している人がいないと不自然なので車内でハンドルを握って

「普通に走っている」ふりをする(当然、車内からカメラを向けてはいけません)。

自分は見られないけどさまひさんが写真を写してくれるから問題ない。


警報機は鳴らないが通過予定時刻が近づくと遠くでディーゼル・カーの音であろう警笛が聞こえた。

フォン!

と警笛が田畑と山間に響くその音にご満悦。

昭和なディーゼルカーが姿を現して通過していく。

↑ ↓ 共に さまひさん撮影


中の乗客からはどのように映っているだろう

鉄道模型のジオラマのよう。

写真は撮らないけれど走るキハ52をしっかりと目に焼き付ける。
子供の頃はこの形のNゲージが欲しかった。

田園地帯を行く姿は模型か昔の映画を見ているようだった。

さまひさん撮影

つづく


小樽運河沿いのホテルソニアⅡのパソコンをお借りして更新しました.

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いすみ鉄道イベントのお知らせ

2011-12-03 12:07:13 | 60年代

12月11日(日)に千葉県の「いすみ鉄道」で古い気動車が入ってきて一年になる事を記念して

イベントを行います。

ボンネットバスやオート三輪(珍しい運送屋カラー)、軽三輪(マツダK360)ブルーバードP312(タクシー?)デボネア(A3?)

などが集まり私のコルトも恥ずかしながら参加させて頂く事になりました。

いすみ鉄道のサイトより転載させて頂きます。


http://www.isumirail.co.jp/

キハ52入線一周年を記念して、催し物を致します。

各種の出店、フォークコンサート、昭和情景再現
ボンネットバス試乗会&撮影会、バルーンアート
キハ52と昭和の自動車展示撮影会
いすみ鉄道沿線ポッポの丘撮影会
美食体験!大多喜ハーブガーデン など盛り沢山!

◆メイン会場
風そよぐ谷国吉駅

◆開催日時
2011年12月11日(日)10:00〜15:00


ボンネットバスの試乗会が行われるそうですが乗り切れない場合は

「+コルトの試乗会」になるかも(これが本当のコルトプラス)

よろしければ遊びに来てください。

 

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都電6086号を見に江戸東京博物館へ

2011-07-24 21:43:36 | 60年代

先週、お客様(某プロパンガス会社の社長さん)が連休中に出掛けるのでY31を

貸してくれました。

「休みでも取ってどこか遊びに行ってきなよ。ETCカードも入れておくからさ。

燃料は半分しか入ってないけどね」

と言われた翌日に借りたセドリックY31の燃料は満タンだった。

会社で充填すればタダなのに直前でわざわざ近所のスタンドで満タンにしてくれたのか・・・(涙)

 

せっかくのご好意なのでちょっと遠くに出掛けようと

始ったばかりの「東京の交通100年博」に車で出かけてみる事にしました。

本来は電車で行こうと思っていましたがこの車だと駐車場代だけで済む。

私は鉄道マニアじゃないけど奇跡的に車庫に帰ってきた都電6086号が気になって仕方がないのです。

前に書いた都電6086号のイベント ↓         ↓         ↓

 http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/ef66a1e7ad28e74b9d64d97322fe33e7

 

その都電が江戸東京博物館で開かれている「東京の交通100年博」に展示される事になり

荒川車庫からトレーラーに乗せられて行きました。

展示されるので自由に見られる嬉しさと

心無い人に壊されるのでは

これを機に車庫へ戻さず「どこかの公園に保存」とかなるのではと心配になったりもします。

 

エアコンの効いたセドリックに乗り首都高を抜け両国の江戸東京博物館に到着。

駐車場に入ると6086号のおでこが見えました。

特別展の料金1300円を支払いまずは館内の展示を観る。

ここには都電、都バス、上野懸垂線、地下鉄の資料を観る。

撮影禁止なので紹介出来ませんが系統板やサボの展示がありました。

系統板は本や写真でしか知らない当時の東京を見ていたものですから

妄想野郎の小生には感涙ものでした。

十分に堪能し屋外展示の都電6086号に向います。

 

久しぶりのご対面となりました。

来年公開の「ALWAYS 三丁目の夕日’64」の撮影に使われたセットの一部と一緒に展示されていました。

電車はレールの上に乗せられているのでちょっと見上げるような感じです。

レプリカでいいから系統板を付けてくれれば・・・

新聞屋さんのセットですが

丸い電灯と木製のドアを見ると熱海のどこかの宿を連想してしまいます。

どこかの宿はアルミ冊子になっているけど昔はこんな感じだったのかな?

しかしいいポスターだ♪

車内も公開されています。

 

個人保管されて荒川車庫に戻ってきた時、車内の床は老朽化で抜け落ちる危険があるので

イベントでも非公開だったそうです。

それも修復していたのですね。

 

運転席

メーターは圧力計しかありません。もしも動態保存になるといろいろな装置が追加されるのでしょう。

昭和53年の廃車までの検査証票みたいなものなのでしょうか。

赤いレバーは非常コックなのかな?

 

緑の座席と木製の板

あぁ、懐かしい・・・・

昭和53年の廃車前に家族5人で乗りに行った時を思い出します。

赤い帯の電車に乗り込んだ時に見た時の車内の薄暗さが印象的でした。

なぜだかあの時の事はよく覚えています。

青い帯の新しい都電には乗りたくなかった。

幼稚園児だった私はコルト等の影響でその頃から古いものが好きだった。

 

床板はキレイに直されています。

シートも張替えたようです(違ったらゴメン)

嬉しい事に映画の撮影で使った車内中吊り広告や廃車前と思われる昭和53年頃の広告が

展示されています。

かつて一球さんとして走っていた都電6152号の車内には広告が無くて

小学生の絵とかが展示されていましたが

やはり広告があると無いとでは大違い。

 

「保存車」にありがちな「何か違う」感が見事に解消されていました。

乗客がいると走っている電車みたいです。

ガラスに貼られたシールの広告も剥がされずそのままでした。

人工透析の事なのかな?東京スタジアム前とはまた・・・

 上の広告は映画用に作った当時風のものでしょうが雰囲気がいいです。

 シルバーシートの表記を見て「時代考証がおかしい。当時はこんな表記はなかった」

と誇らしげに大声で言う人(いかにも鉄ヲタの半ズボン中年)がいたがこれは末期に荒川線で使用していた時のなんですけど・・・

 このステッカーがステキ・・・ 「マイカーにも~」ですって♪

 つり革は横浜市電で使われていたのと同じです。車両メーカーが同じなのだろうけど久しぶりに

このタイプを見ました。

因みに横浜市電保存館の車両に備わっているつり革は数年前に取替えられています。

プラスチックが劣化しているからなのでしょう。

熱海?

割烹料理「熱海」ですって。

熱海と聞くと黙ってはいられない私には刺さりました。

当時風に作った撮影用だろう、と今まで思っていましったが実際に都電荒川線小台駅前に存在するお店でした。

「熱海」と聞いただけで過剰に反応してしまう。

 

発車時や停止時に車掌さんが鳴らす「信鈴(しんれい)」というらしい。

この音から「チンチン電車」と言われるのですね。

で、このベルを鳴らせないように紐を引っ張る部分は固定されているのですが

70歳位の男性がお孫さんだかに「ここで鳴らせるんだよ」と

ベル手前の紐を引っ張り鳴らしたのです。

「お手を触れないように」と入り口に注意書きがあり

お孫さんや家族がいる所で平気で行うその姿にお人柄がよく分かります。

更に「触っていいんだぁ」と独り言を大きい声で言い始めていかにも鉄ヲタの痛い半ズボンおっさんがベルを連打。

警備員も係員もいない車内はやりたい放題。

こりゃあれだね、展示が終わる頃には6086は破損や部品盗難が出るでしょうな。

有料の展示施設で博物館とは思えない・・・

その場で注意しようと思ったが小心者な私はすぐに入り口の係員に通報し

注意されていましたが警備員や係員も車内に置かない博物館の姿勢に疑問。

 

せっかくの公開展示も心無い人々のおかげで実に後味の悪いものとなりました。

 

運転席にはこんなネーム札?がありました。

ちょっと目頭が熱くなりました。

この展示方法を見て岸由一郎さんはどのように感じておられるでしょうか・・・ 

 お願いですからどうか無事に帰ってきてください。

勝手な妄想ですが「「ALWAYS 三丁目の夕日’64」PRで映画会社からお金が出て

車庫に向かわず工場に入って路上復帰♪

とかありえないかなぁ・・・

飛鳥山の併用軌道を走るこの都電6086号をコルトで追走したい。

 

まぁ、とにかく江戸東京博物館には車内に係員か警備員を配置するように願っています。

アンケートには書いてきましたけど。

 

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サッポロSビール

2011-06-12 20:55:55 | 60年代

玄岳を降りてきてドライブインへと向かう道を歩いていると

こんな空き缶を見つけました。

かなり昔のサッポロビール初の缶ビールの空き缶です。

アルミ製なので昭和50年代くらいでしょうか?

サッポロSビールというもので一昨年辺りに復刻版が出ました。

↑復刻版。(隣の栓抜きは福島屋旅館のご主人から頂いたもの)

そういえば昔の缶ジュースや缶ビールって下に飲み口があった事を

はるか昔に捨てられた空き缶を見て思い出しました。

 

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(ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 15)

2011-03-26 20:22:01 | 60年代

熱海新道に入ると随所に「レストラン明治」の看板が立っている。

 料金所で通行料金¥250を支払ったが熱海ビーチラインですら¥130だったのに

同じ道路会社でこの差は何?

さて排気量はコルトの半分なのだがさすがにツインカムエンジン。

コルトよりは楽に坂道を登る。

マフラーは細く大人しそうだが音はコルトとは全く別もの(当たり前)

 

しばらく走ると右側のカーブに目当てのお店が見えてきた。

開店したばかりなのだろう花輪がズラリと並んでいる。

しかし駐車場にはそれほど車もない。

ホンダスポーツで乗り入れても誰も出てこない。

熱海の街や海が見えて確かにここからの眺めは良い。

店内に入ろうとすると後ろから

「開店は明日からなんですけど」

と声を掛けられた。

どうりで車が少ないわけだ。

伊豆スカまで行く事も考えたが残りの時間を考えるとここで引き返した方が良さそうなので戻ることにした。

つづく

 

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あす彼岸入り 昭和32年

2011-03-17 17:46:36 | 60年代

春の行楽始る あす彼岸入り

寒さも峠を越して十八日から彼岸の入り
いよいよ春の行楽シーズンの幕開きだ。

そのトップを切って十六日夜はツバキと御神火が招く大島へ行楽客がくり出して行った。
この夜東海汽船の「橘丸」「淡路丸」の二隻に乗り込んだお客はざっと二千人、
大半は群馬、長野などからの団体客やサラリーマン・グループ、家族連れ、学生など。
予約の切符はすでに四日前から売切れという盛況だった。

一方、戸塚の有料道路では白ナンバーの自家用車が引きも切らず西へ西へ
ドライブ族の落着く先は熱海か箱根の山か。
四十円ナリの通過料をいただくミス関守りも楽しげな車内のアベック風景には
「当てられますわ」
とテレくさそう。
だがこれからの好シーズンに一日に軽く三、四十万はかせぐこの”関所”にとっては
ドライブ族さまさま・・・・・
春とともに笑いが止まらぬといったてい。

上  ”橘丸”に乗込む行楽客(竹芝桟橋で)
下 ドライブ・カーの行列(戸塚有料道路で

------------------------------------------------
昭和32年3月17日の朝日新聞より

54年前の朝日新聞に載っていた記事です。
「レジャー」も時代を感じます。

戸塚有料道路とは吉田茂首相が命じた「ワンマン道路」の事。
現在は横浜新道戸塚支線と呼ぶそうです。

新聞記事の二台目は日野ルノーでしょうか。

この時代に白ナンバーの自家用を持てた人はどれほどの
お金持ちだったのでしょう。

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 9

2011-03-09 21:44:43 | 60年代

真鶴最後の目的地

真鶴サボテンドリームランドとは?


 

約7000㎡の園内には四つの大温室があり

約2500種三万本のサボテンを栽培している。

これらのサボテンは世界三大サボテンコレクションとして知られていた

メキシコのシュワルツサボテン園の収集品を主としてそのほかメキシコ・中南米・アフリカからの

ものが集められている。

弁慶柱・金鯱などの大きなものから白紅山・金環飾などの珍種もある。

他にメキシコ物産館がある。

このドリームランドのわきには新たに野鳥園ができた。

約2500㎡の金網で囲った中にはコウライキジ・日本キジ・キンケイ・ハッカンなど

10数種1000羽ちかくが放し飼いにされている。

昭和46年発行 伊豆・箱根 旅行案内より

http://www4.airnet.ne.jp/manazuru/2sabotenland.html


ここも閉園されていまはコミュニティ広場となっていました。

とくに写真に収めるものもなく売店でみかんソフトクリームを食べて後にしました。

しかし135号線真鶴道路へ戻る途中に見かけたこの旅館

みよし旅館

!いい!

いいよ!この宿!

 なんかこう・・モロに60年代です!という雰囲気が出ています。

HPもありました。

http://miyoshi-ryokan.com/

お値段も手頃、こういう部屋の雰囲気が好きなのでいつかみんなで

泊まりたい宿です。

さて真鶴を経ていよいよ目的地熱海のニューフジヤへと向います。

つづく

(この調子で行くといつ終わるのだろう・・?)

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鋸山観光ホテル

2010-11-15 00:28:55 | 60年代
以前、まにまにカレチさんと千葉旅行をした際に
金谷で廃墟物件を見つけました。

その時の記事
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/d/20100721





展望台らしきものと横浜ドリームランドの円型食堂の煙突みたいなもの


が印象に残っていました。

ドライブインか何かと思っておりましたが
昔のドライブガイド(昭和40年頃)を読み返していたら
こんな広告が載っていました。




前に読んだ時はそれほど気にしなかったのですが



これがあの物件だったのではないでしょうか?

展望台?の形状も違うけど今のは近年に改修されたような感じがあり
右に見える煙突みたいなものもそれかと。

煙突の位置が違うのは「海側」からのイラストだと思います。
現存の煙突や定礎に「鋸山観光」の文字が残っていますがので
間違いないかと。

広告に住所が残っていればよかったのですが
ドライブガイドのイラストにもフェリーボートから近いように
書いてあった。

yahooの地図だと「内房フラワーハウス」となっており道路の向かいに「鋸山観光ホテル別館」と書いてある。


その別館というのは営業しているだろうか?
(営業されていたらゴメンなさい)

あ~、気になる~!




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都電6086号と熱海城?

2010-06-07 22:47:23 | 60年代
6月6日
都電荒川車庫に保存されている6086号が外観修復されて
「路面電車の日(6月10日)」のイベントにて公開されるというので
出勤前に見に行ってきました。

二年ぶりに対面したお姿は・・・


おお!素晴らしい・・・(涙

二年前と比べると歴然です。






http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/4b1b354280ac5e3a7d1a15c2662e5fa7
【参考】二年前のイベント時

戻ってきた時は痛んでいても当時のままの塗装で保存してくれれば、と
思っていましたがここまでキレイになると
やっぱり塗り直して良かったですね。

それにしてももの凄い人の数でした。
前は写真を簡単に撮れましたが多すぎて無理、無理。

後ろから手を伸ばして何とか撮りました。
それに仕事もあるので1時間しかその場にいられませんでした。

そしてこの日は大阪の阪堺電車との「PR相互乗り入れ」開始イベントが
行われ阪堺電気軌道の塗装に塗られた都電がお披露目されました。








大阪に通っていた数年前。古い路面電車に乗りたいが為だけに何度か天王寺から
乗ったのでちょっと懐かしいです。

2004年撮影

PR相互乗り入れについてはこちらをご覧下さい↓
http://www.hankai.co.jp/topics/pdf/100514_2.pdf





黄色に赤帯の都電。
60年代の東京を走ったこの車体は文化遺産だと思う。

通勤時につかう道や職場の前を黄色に赤帯の電車が
モーター音をうならせて走っていたあの時代。

60年代の写真や映像に出て来るあの都電が目の前にある。

新車のようになった車体を間近に見ながら60年代に思いを馳せていました。

いつかコルトの運転席から併用軌道を走るこの顔を見てみたい。



車内の広告も剥がされたり消される事なく残っていました。
「旅荘 川ばた」泊まってみたい(笑)既に存在しないようですが)

せっかく来たので家にお土産をと買ったのが「都電もなか」


箱や中身が都電の形をしているだけでなくこの最中は旨いですよ!
新型の都電も追加されていました(右上)。

で!
ここでも熱海ネタです。

熱海城にかつて都電が運ばれ展示されていた、と聞いておりましたが
検索してもその画像もなく
『がけ崩れで壊れ処分された』としか分かりませんでした。

そしてやっと見つけた熱海新聞



熱海城へ都電

東京から二台やって来た

「熱海城では、きのう、きょう「6000型」の都電二輌
(九十五人乗り、座席二十二、重さ十六トン。6181号車と6189号車)を
展示してSLマニアの参観を歓迎している。

これは最近まで東京南千住、荒川、大久保を走って都民に愛されていた都電が
路線廃止となりスクラップとなるのを熱海城が払い下げをうけて九月下旬まで
化粧直しを行うものでマニアや子供達の人気をさらうことになろう
(写真は熱海城へ来た都電)」

昭和53年8月27日 熱海新聞より



>>SLマニアの参観を歓迎

SLって・・・

>>都電が路線廃止となり

荒川線がワンマン化された時に廃車となった車輌なわけで
路線廃止じゃぁ・・・

そもそも熱海になぜ都電だったのだろう?

と野暮なツッコミはさておき
展示場所は写真からすると駐車場の脇だったようです。
がけ崩れで被害を受けた記事は当該月日の記事も探しましたが
掲載されておりませんでした。

荒川線ワンマン化時に廃車となり
熱海城に運ばれた6181号車と6189号。
そして
再び荒川車庫に帰ってきた今回展示された6086号車。

6086号は実に幸運な車輌です。
この姿を後世に末永く残して頂きたいものです。
「どこかの公園に寄贈」では何の為に故・岸由一郎様がこの地に戻したのか意味が無くなってしまいます。

どうか末永く・・・

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富士屋ホテル 宮ノ下 

2010-04-19 23:14:46 | 60年代
3月29日
家族と親戚で箱根に行ってきました。
私は日勤の仕事が終わってから1人電車で宮ノ下の富士屋ホテルへと向かいました。
泊まるのは10年ぶり位なので久しぶりです。


乗って来たのは運良く古い車輌でしたが焦ってピンボケ・・・

この日は雪が降ったので雪景色が楽しめました。
昼過ぎに到着した家族はダイヤも乱れ大変だったそうな。
私が到着したのは23時頃
駅前は除雪されていたが凍っていて坂を降りるのに一苦労。

ノルウェーから来たという一家と出会うが凍った坂道を楽に降りて行きました。
(その方々と翌日と翌々日に富士屋の朝食時に再会)

寒かったけれどライトアップされたホテルはとてもキレイでした。


翌日は見事に晴れ



後ろの建物が今回宿泊した花御殿
昭和11年建造





部屋は甥っ子達と一緒です。


フロント前の階段


雪で交通が規制されどこにも行かれないのでノンビリしていました。
維持するには大変だろうな、と思いながら館内を巡っていました。

富士屋というと本館や花御殿、西洋館が注目されそうだが
私はこのフォレストロッジに注目です。

昭和35年建造


モロに60年代です♪資料室の説明では当初は4階建てだったそうです。

廊下は一見シンプルですが・・・


飾り気が無いかと思いきやカーペットの色
ソファ、灰皿、さりげない絵、600型電話・・・



いいですよ、ここ!
普通なら観光ポスター等を貼ってしまいがちですが
あえて貼らない姿勢にホテルのポリシーを感じます。



ここにいると60年代にタイムスリップしたかのような気分に陥ります。
ああ~、次回はこのフォレスト館に泊まりたい!
裏のお部屋からは登山電車も見えるそうで鉄道好きな方には
なお良いでしょう。

そして階段室は



タイルも手すりも当時ものでしょうか。



手入れも行き届いており雰囲気があります。



60年代の香りが漂うこの階段でずっと佇んでいたいが不審者に思われてしまいそうだ。



ネットで検索すると
『せっかく富士屋ホテルに行ったのにフォレストロッジだったのでガッカリ』
という声が多いようだ。



文化財にも指定されている本館の木造建築も素晴らしいと思いますが
5、60年代に建てられた建築だって味わいがある。

昭和が好きな方にはお勧めです。
コメント (8)
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白浜フラワーパーク ドライブイン

2010-04-14 00:09:19 | 60年代
『ドライブイン』

子供の頃にスキーバス旅行やドライブでよく立ち寄ったものです。
最近はファミレスやコンビニの影響でしょうか見かけなくなりました。

なんとなくドライブインで検索していたら見つけたこの物件。







「いやいや、ナウい店だなぁ」とつぶやきながら入店すると
店内は外観以上に素晴らしかった。

夢か昭和か幻か?


店内のど真ん中にストーブ
スキー場みたい
コンクリート打ちっ放しな床♪




こ、このイス。

パイプイスです




中途半端に改装されているとイスやテーブルだけが新しかったりで
ちぐはぐな感じを受けるがここは偉い!

こんな壁も懐かしいな
ドライブインに行くと協定を結んでいる看板とかがあったな。

ドライブイン協会ってあるんですね。
帰ってから検索しましたがグっとくる物件は見つかりませんでした(涙

しかしこんな所にも格差社会を感じる一角があった。

乗務員休憩室








造花の仕切

テーブル

料理を注文せずともバスの乗務員はフリーパスでタイムスリップが出来るに違いない!
乗務員じゃなければ足を踏み入れないのだ!

この白浜には乗務員特権という差別がまかり通っている。

あ!背景の車が平成だ!

コルトを置く位置が甘かった!

もしもコルトの隣にベレット1300セダンが並んで駐車してあったとしたら
どう見ても60年代じゃないか!
いつかそんな姿を見てみたいな。







このドライブインを知るきっかけとなったサイトにもあった万華鏡がまだあった…



テレビでお馴染みって…YTVって…

どんな人が買うのだろう。

さて、料理を注文しよう。
ドライブインの基本はカレー、ラーメン、カツ丼だと思うのでリッチに(苦笑)カツカレーを注文した。
波さんは伊勢エビ丼。



なんとデパートの大食堂で見かけたような硬券である(ボール紙だけど)
こんな食券を見たのもはいつ以来か

カレーはこんな感じ。



味は見た通りというか…
いや、この際どうでもいいです。

二階には何があるんだろう?
波さん「きっとロープウエイの運転台があるんですよ」



一瞬意味が分からなかったが
なんとなく玄岳ドライブインに似ている造りだからだ。
「運転台」を理解出来なかった自分が恥ずかしかった。



ここは団体用らしい。
一階に芸能人のサインがありその中に舘ひろしさんのがあった。おそらくNHK新宿鮫シリーズ「屍蘭」の撮影があった時の拠点となったと思われます。
きっと撮影隊がこの二階を拠点に使用したのだろう。

トイレの小便器はアサガオタイプで満足したが「大」は便水をチェーンで引っ張るタイプだったそうな。
昭和過ぎるドライブインという事でマスコミも取り上げるべきではないだろうか。

これだけ興奮したのは久しぶりでした。
因みにジャングル風呂の中は普通でした。






外観は椰子の木に丸い浴場。
60年代です♪

館山駅と白浜を結ぶバスもありましたが
ちょっと古いようです。




コメント (14)
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