マフラーをぶつけてから更に酷くなっていた。
エンジンルームから洩れているので走ると必然的に排気ガスが車内に入ってくる。
熱海「福島屋旅館」にコルトで出掛けた際も書かなかったが実は排気ガスで苦しかった。
下手したら動機不明のガス自殺モノでした。
一人で乗る分には我慢出来るが来月の熱海オフや『その他の用事』もあるので修理に踏み切りました。
入院させて3日後、ヒロタさんから「修理終わりました」との連絡有り(早っ!)
確かもっと掛かると言っていたのにビックリ!
夜勤明けで電車に乗っていたがそのまま東海道線に乗り換え平塚へ向かいました。
入り口に佇むコルトを見るとその場で頬擦りをしたくなるが我慢我慢(笑)
一番聞きたかったのでエキゾーストマニホールドの「スタッドボルト」でした。
果たしてはずれたのか?
外したボルトを見せてもらうとキレイに抜けていた。が、しかし!
かなりの苦労があったようです。
『酸素(バーナー)で真っ赤に焼いてなんとか外れた』
一人で作業をされているのでかなり大変だったと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/17/7fa87aaaf551f59dd5aac108de68291d_s.jpg)
見事に痩せています。これじゃナットが噛む訳ありませんな(汗)
やはり自宅では無理だったな、頼んで正解♪
クラッチ交換でどの位クラッチ板が減っていたのかを訊ねたら
『それほど減ってはいなかったけどオイルが洩れていてそれをクラッチ板が吸ってしまってた。滑るのはそれが原因』
作業中に撮影された問題部分のデジカメ写真を見せてくれたが
あちこちでオイル漏れを起していました。
普段から自分でも気になっていたが現実を直視すると自分の身体の不具合を
見ているようでかなりへこむ。
「直せばいいじゃん!放っておくとまずいよ」という声が聞こえてきそうだが
分かっています。でもお金と部品が無いのよ。
古い車の維持ってとっても大変。愛情だけではとても無理、という事を改めて実感する。
でも、乗っていると心底楽しくて苦労も忘れさせてくれる。
いつかは別れる時が来る
その時、私はどれほど辛い思いをするのだろう。
2歳の時から一緒
家族を亡くすような辛さか自分の身を切られる辛さなのだろうか
駐車場に行くと長年そこにあったコルトが無い事を実感した時
街で同じような古い車を見掛けた時
オークションで無意識に部品を探して見つけた時に使うべき車が無いと気付いた時
もう私のコルトは無いんだ
そう気付いた時、どんなに辛いんだろう
一生手放した事を後悔し普通の実用に耐える車を探して乗り換えていっても
きっと私が探している車は・・・
あのコルトなのだろう
もし、コルトが動かなくなったとしても置いておきたい
車としての役目を果たせず二度と走る事が出来なくてもいい
古い車に乗る人はよく『車は走ってこそ車だ。飾っておいたり走らない車には意味がない』
と言う。その気持ちは分かるが私には同意できない。
走らなくなって飾られている車にも持ち主の事情がある。
走らなくても「車」というものを超えてしまった存在もあるのだと私は思っている
車は走ってこそ車だ、という人とは心の中では一歩引いてしまう
人に歴史ありと言いますが「車に歴史あり」とも思う。
それぞれ一台の車には様々なドラマがあるはずです。
廃車置場に積まれた車を見ていると
『どんなドラマがあったのかな』と考えてしまう。
ともあれコルトは帰ってきた
しかし今回のタイトルは「太陽にほえろ」の最終回みたいですな~
だって使ってみたかったんだもん(笑)